万葉集の中の百済人が作った歌めっちゃ自然だけど古代日本語覚えるの簡単だったの? [928194223]
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倭人と百済人ってガチでほぼ一緒だから
日本列島に住んでるか朝鮮半島南端に住んでるかの違いでしかない
韓国と日本は文法体系がほぼ同じだからな
古代は単語も今ほど違いがあったわけではないんだろ
兄国から逃げてきたのが倭人なんだし、言うほど言語も違わない
>>24 中国は全然違うやろ
発音を聞き分けられない
百済から来た王仁の和歌なんて後世の詩人のお手本にされてたしな
>>30 百済は支配階級が高句麗と同系統の言語で、庶民は半島日本語だったんじゃないかというのが最近有力な説
現代の韓国人だって速攻で日本語習得できるんだし
古代のほうが日本語との距離は近かったはずだからそりゃあ簡単だったろうね
①どちらかといえば中国系の朝鮮人
②どちらかといえばモンゴル系の朝鮮人
③どちらかといえば日系の朝鮮人
これで天下三分の計をやってた時代を三韓時代という
最終的に①が全部滅ぼした
②は二正面作戦やって最初に滅んだ
③は日本の援軍もむなしく滅んだ(白村江の戦い)
現代の韓国北朝鮮は①の文化の後継
③が天下とってたら日本語と韓国語は今よりさらに似通った言語だっただろう
白紙の奴に嘘をバラまいておけば、適当に嘘の中で理解しよるから、嘘をつくのはやめられない。
おそらく今の日本人だからスレタイのような疑問を持つんだろうと思う
世界中には(英語公用語国以外で)一か国語だけで生きていける国のほうが
むしろ珍しそう
日本だって古代は国の中枢から庶民まで中国朝鮮から来た人がいっぱい
同居してたわけで
桓武日王は韓国人でした
いままで嘘をついてごめんなさい
前の日王がカミングアウトしたのってメディアは報道しないのはなぜ?
何不思議がってるんだ?
生粋の中国人が芥川賞取ったの忘れた?
当時日本に来れた百済人って王族とか知識階級の人間
つまり上級国民だぞ
言葉なんかすぐに覚えるに決まってるだろ
新羅の建国者から初期数代の王は倭人と言われてるし
百済の支配層は倭人相当いたのも確定してるし
半島南部ぐらいまで混ざってるからな。漢字持ってきた王仁も華僑系百済人。
今みたいにはっきり分かれてのは白村江以後。
高天原って百済の隣あたりの朝鮮半島側の「倭」なんだろね
言葉が通じちゃうのも近所だったから
半島という「場」でもあっちは地続きだから、
女真だのモンゴルだのの遊牧民系統の遺伝子は半島や中国北部の方が濃い。
インディアンのQ系統も日本は1%もないけど中韓の方が日本の何倍もあるからな。
日本語と韓国語がほぼ同じとか喚く奴がいるが全然別物だぞ
というのも先史朝鮮半島にいたのが弥生系(古代朝鮮人)で、後から朝鮮半島に居座ったのが韓国系(現朝鮮人)
そもそも民族どころか人種が違うから言語も違う
ちな弥生系とは別に古墳系と呼ばれる人種もいて、弥生系は中国大陸の閩南辺りの出身というのが最近の有力説
現代人のDNAは個人差もあるが、平均すると縄文1:弥生4:古墳5くらいらしい
訂正
古墳系は中国大陸の閩南辺りの出身というのが最近の有力説
>>58 まあそりゃね
でなけりゃわざわざ言語学的にProto-JaponicとProto-Koreanicの2つに大別しないし一部の学者がProto-Korean-Japaneseなる言語を再構築しようとしたもののあまりにも共通語彙が少なすぎて頓挫したって話だ
日本語の原型は、音節の一つ一つが現代でいう手話の手形に近いものであった可能性がある
そして、そこに法則的な子音と母音の組み合わせを当てたのが、原始的な日本語になったと推測される
(「パタパタ」「メキメキ」「キラキラ」「シトシト」といった二音節反復型(厳密には二拍反復型)の擬音語・擬態語が日本語に数多く存在するのは、恐らくこのためである)
また、同じような手法で名詞・動詞・助詞なども構築していった結果、その一連の流れがそのまま文法化した可能性も高い
(世界的にも人々によく用いられる手話・ハンドサイン・ボディーランゲージの多くがSVO型ではなくSOV型を取ると言われている)
以下は、その概念的要素を50音表に大雑把にして纏めたものである
ア-手掲 イ-手拝 ウ-手提/得 エ-ア拝 オ-ア提 (自然体の手)
カ-爪掲 キ-爪拝 ク-爪提/暮 ケ-キ掲/カ拝 コ-ク掲/カ提(引っ掻く爪)
サ-刃掲 シ-刃拝 ス-刃提/擦 セ-シ掲/サ拝 ソ-ス掲/サ提(切っ先を向けた手刀)
タ-秤掲 チ-秤拝 ツ-秤提/連 テ-チ掲/タ拝 ト-ツ掲/タ提(雨を確かめる手)
ナ-拳掲 ニ-拳拝 ヌ-拳提/濡 ネ-ニ掲/ナ拝 ノ-ヌ掲/ナ提(軽く握った拳)
ハ-掌掲 ヒ-掌拝 フ-掌提/触 ヘ-ヒ掲/ハ拝 ホ-フ掲/ハ提(指を閉じた掌)
マ-叉掲 ミ-叉拝 ム-叉提/群 メ-ミ掲/マ拝 モ-ム掲/マ提(左右又は上下から物を掴む手又は両手)
ヤ-盃掲 -盃拝 ユ-盃提/揺 - 掲/ヤ拝 ヨ-ユ掲/ヤ提(物を捧げる腕)
ラ-螺掲 リ-螺拝 ル-螺提/ レ-リ掲/ラ拝 ロ-ル掲/ラ提(手首を捻ったり曲げたりする補助動作)
ワ-腕掲 ヰ-腕拝 ウ-腕提/熟 ヱ-ヰ掲/ワ拝 ヲ-ウ掲/ワ提(肘を中心とした腕全体)
噛む(カム)
=爪を掲げる+手形はそのままで提げた揉み手みたいに対象に群れる
=目一杯に開いた爪からそのまま掴む動作
敷く(シク)
=手刀を拝む+手形はそのままで提げた爪みたいに対象に暮れる
=自分に向けた手刀を遠くから胸元辺りまで引き寄せる動作
盛る(モル)
=提げた揉み手を掲げる+手形はそのままで手首を提げるみたいに対象に捻じる
=土を持った掌をひっくり返す動作
などのように、巧く解釈してもらえると有り難い
(補足)
・ヤ行ワ行は当初存在したエ甲オ甲が独立した結果誕生したものと考え、現在のエとオは乙に相当するものと仮定
・エ段オ段には甲乙をつけたが、区別がないものは原則的に甲を想定
・イ段乙は基本的に「~する存在/生き物」と想定したため省略
同じ系統の満州語が残ってればもっと分かったろうにな。
半島はそっちの系統の方が強いだろ
積石塚は高句麗で発生した、上信越は高句麗の渡来文化の影響が強いところである。高句麗からは日本海を渡れば、糸魚川から簡単に入ってこられる。
高句麗の故地は冷涼な山岳地帯で、狩猟文化+農耕文化を持つ彼らの生活基盤とよく似た自然条件だからである。
大室古墳群からは墳丘の裾周辺から土師器、須恵器のほか、土馬が発掘された(168号墳は古墳の周りに浅い溝が巡っていて、全体として方墳の様に見える古墳である)。
騎乗馬の使用も高句麗人の文化である。後の時代になれば、東山道を通じて大和と結ぶ交通の要地にもなっていき、朝廷によって新たな高句麗人も配置され「牧」が作られた。大室にも「大室牧」があったと言われる。
長野県の高句麗系渡来人として、卦婁真老、後部黒足、前部黒麻呂、前部秋足、上部豊人、下部文代、高麗家継、前部貞麻呂、上部色知、前部綱麻呂などが挙げられる。
いずれにせよ、高句麗の影響が強いと言われる地域から積石塚が見られ、長野県には多くの積石塚が見られ、山梨、群馬でも積石塚が見られる。
群馬県渋川市
https://livedoor.blogimg.jp/uebaru/imgs/2/f/2f5c75ef.jpg 中臣鎌足の伯父、藤原不比等の祖父・車持与志古(上毛野国出身)←これ
https://i.imgur.com/zDLNlTY.jpg 上毛野国
書紀では上毛野君は仁徳天皇の御世に新羅と戦い捕虜を得たといい、またその後天智天皇の御世には百済が新羅に攻められた際、百済を軍事的に支援するため朝鮮半島に遣わされたという[16]。
この間推古天皇9年(601年)9月8日には新羅人の間諜者である迦摩多が対馬で捕えられ上野に配流されており[16]、上野国と朝鮮半島が古い時期から深く関わりを有していたことがうかがわれる。
和銅4年(711年)に甘楽郡(かむらのこほり)の織裳(おりも)・韓級(からしな)・矢田(やた)・大家(おおや)の4郷、緑野郡(みとののこほり)の武美1郷、
片岡郡(かたおかのこほり)の山等(やまな)1郷、計6郷が各郡から分離され多胡郡(たごのこほり)が新設され[17]、
倭名類聚抄の成立期には碓氷(うすひ)・片岡(かたおか)・甘楽(かむら)・多胡(たご)・緑野(みとの)・那波(なは)・群馬(くるま)・吾妻(あかつま)・利根(とね)
・勢多(せた)・佐位(さゐ)・新田(にふた)・山田(やまた)・邑楽(おはらき)の計14郡があった[18]。
大化以後には、毛野出身の氏族として「東国六腹朝臣」[注 2]と総称される上毛野氏・下毛野氏・大野氏・池田氏・佐味氏・車持氏ら6氏が、朝廷の中級貴族として活躍を見せた。
『新撰姓氏録』にはこれら6氏族が上記の伝承を共有したことが見えるが、その他にも多くの氏族の伝承共有が同書に見え、その数は合計で40氏弱にも及ぶ[4]。
「日本の支配階層を構成した氏族1182氏のうち313氏が朝鮮系」
東北アジア歴史財団が最近出版した『新撰姓氏録 訳註本』によると、当時、事実上、日本の支配階層を構成した氏族1182氏のうち313氏が朝鮮半島から来たことが確認された。
彼らは、戦争、権力闘争、自然災害などによって新天地を求めて移動し、または対日外交や政治的目的で派遣されて定住した朝鮮系の子孫だ。
『新撰姓氏録』は、平安時代を開いた桓武天皇(781~806)が799年に編纂を命じて815年に完成された古代氏族名鑑。遷都した平安京(京都)と畿内(都や皇居に近い地域を指す呼称)に居住する氏族1182氏の系譜を記録した。
8世紀末、奈良時代の政治的混乱の中、平安遷都を行った桓武天皇が主要氏族の系譜を把握し、支配秩序を強化して社会の安定を図るために編纂したという見方が支配的だ。
桓武天皇は、2001年に天皇陛下(当時)が「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べ、注目された。
同書は、神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族(皇別)、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族(神別)、渡来人系の氏族である諸蕃で構成されている。
諸蕃で朝鮮系氏族は百済104氏、高句麗41氏、新羅9氏、任那9氏の163氏で、中国系氏族は漢163氏。これまで朝鮮系氏族はこの163氏だけとされた。
しかし、東北アジア歴史財団のヨン・ミンス前歴史研究室長(63)を責任者とする研究チーム(韓国教員大の金恩淑名誉教授、釜山経済大史学科の李根雨教授、漢城大人文科学研究院のソ・ボギョン特任教授、忠南歴史文化研究院のパク・ジェヨン研究室長)が
2014年から7年間、新撰姓氏録や日本書紀などの過去の史料を対照、検証した結果、中国系163氏のうち150氏が朝鮮系だったことが明らかになった。朝鮮系の氏族が漢や秦の系統の子孫だと主張した。
ヨン氏は、「当時、日本の朝廷は、朝鮮系など才能のある渡来人の子孫を重用し、いわゆる多国籍官僚群を形成した」とし、「同書は、古代日本の朝鮮系氏族史研究はもとより韓国古代史の外縁を広げるうえでも有用だ」と話した。
November. 18, 2020 09:00
https://www.donga.com/jp/List/article/all/20201118/2244640/ 「日本人はやっぱり家系というか家柄というか、血統というか、なんとなく安心する部分があると思うんですね」
日本人の憧れ東国武士の源流棟梁氏族
八幡太郎の子孫(上野源氏・下野源氏・石川源氏・美濃源氏・三河源氏)
対馬氏、新田氏、山名氏、里見氏、岩松氏、田部井氏、足利氏、斯波氏、大崎氏、桃井氏、畠山氏、仁木氏、細川氏、戸崎氏、一色氏、石塔氏、広沢氏、石橋氏、今川氏、吉良氏、稲沢氏、飯富氏、野長瀬氏、
石川氏、二条氏、杭全氏、源姓毛利氏、森氏、木曾氏、新宮氏、愛智氏、吉見氏など
新羅三郎の子孫(信濃源氏・甲斐源氏・常陸源氏)
逸見氏、武田氏、小笠原氏、伴野氏、大井氏、板垣氏、一条氏、平賀氏、大内氏、金津氏、伊沢氏、石禾氏、南部氏、大倉氏、駒井氏、佐竹氏、山入氏など
現代の海外アニオタだってすぐ日本語覚えるし
ジャップ語って実は習得しやすいのか
古代朝鮮半島の南端にいる人々がほぼ当時の日本語と同じ言葉を話していたのは判明している
彼らが日本に渡ってきたのか日本人がそこに植民していたのかはまだ謎
伽耶国周辺で交流あったから混ざるだろう
言葉覚えないと仕事にならない
>>1の朝日の安倍さんをこき下ろしてるだけの記事に誰もコメントしてないのが笑う
新羅と百済は日本の植民地だった。新羅の王様なんて日本から渡った人物だしな。
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