曹操・曹丕(文帝)・曹叡(明帝)の三代に仕え、魏の建国後は宗室の筆頭格の一人として重きをなした。曹叡の代に蜀漢の北伐から領土を守った。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E7%9C%9F
『三国志演義』では、第一次北伐から全て司馬懿が諸葛亮を撃退したことになっており、曹真の功績は失われている。 史実では諸葛亮に勝利した曹真であるが、演義では諸葛亮の圧倒的に優れたその知略の前に連戦連敗を喫し、腹心の王双を魏延に斬られ、同僚の司馬懿との賭けに負け、自分の能力の差に愕然とする。諸葛亮の離間工作によって群臣の多くが司馬懿を疑った時、「蜀か呉の計略ではないか」と一人彼を弁護したり、病気療養中に呉蜀が連合して魏に侵攻してきたという知らせを聞くや、自ら進んで都督の印綬を司馬懿に譲って全権を委ねるなど、曹真の活躍は司馬懿の引立て役としてのものとなっている。諸葛亮や司馬懿と自らの力量の差に心中苦しみ続け、そのことが原因で病にかかってしまう。最後は諸葛亮の罵言を記した書状を読み、憤死している。