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1945年8月15日の終戦直後、徹底抗戦を唱える一部軍人が群馬、埼玉両県内でまいたとみられるビラが見つかった。降伏を受け入れない兵士らが各地で反乱を呼びかけた文書はほとんどが廃棄され、現物が残っていたのは珍しい。専門家は「自分たちの行動を正当化している。反乱の論理を知る貴重な資料」と指摘する。(小松田健一)

ビラは、新聞や号外を収集している号外研究家で「小林近現代資料文庫」を主宰する小林宗之さん(39)=京都市=が一昨年7月、1945年8月16日付の上毛新聞(群馬県の地元紙)とセットで入手した。B5判程度の大きさで、紙質はかなり悪い。発信元は「皇スメラ陸軍」となっている。

ガリ版印刷とみられる縦書きで「東部軍全将兵ニ告グ」と題し、6項目の檄文が記載されている。第1項は「敵ハ畏クモ玉体ヲ人質トシテ沖縄ニ御遷シ奉ルベキコトヲ放送シ来レリ」。昭和天皇が連合国の人質となって沖縄へ向かうという内容だ。

そうした事実に基づかない話を前提に、軍の戦闘準備と、青年将校の決起を期待する。第6項で「最後ノ一兵迄戦フノ決意ナキ所断ジテ御国体護持ノ道ナキヲ信ズ」と、徹底抗戦を呼びかけ、「大元帥陛下萬才 皇軍萬才」と締めくくっている。

東部軍とは、戦時期に東日本の旧陸軍部隊を統率した上部組織だ。埼玉大の一ノ瀬俊也教授(日本近現代史)によると、憲兵司令部が45年8月20日付で出した「治安情勢」という文書に、同月18日に埼玉・所沢から群馬・富岡へ至る道路で、トラックを使い、この文面のビラがまかれたとの記述がある。所沢には陸軍航空士官学校、富岡には東京都内から疎開していた陸軍中野学校があった。この2つの組織の関係者の手による可能性が高いという。

一ノ瀬教授は「天皇を沖縄へ移すデマ情報もさることながら、軍での天皇の地位を示す『大元帥陛下』とあるのが興味深い。天皇は降伏に同意したかもしれないが大元帥は降伏していない、軍は大元帥のために徹底抗戦するのが正しいという理屈だ。天皇の権威をかさに着て政治利用し、独走を続けた陸軍の断末魔を表す資料といえる」と分析する。

小林さんによると、古書市場でも1945年ごろの新聞などの資料はあまり目にすることがないという。「こうしたビラも多くは拾った人が(当局の)摘発を恐れて捨てたか、物資不足のため焚たきつけなどで燃やしたのではないか」と話している。