博士の名は、ハロルド・アグニューという。この時、85歳。第二次世界大戦中、米国の原爆開発の「マンハッタン計画」に参加した科学者である。「私は、広島の原爆投下に同行して、映像も撮影したんですよ」少々自慢げに、博士は話した。

投下直後に撮影された広島市内の巨大な写真を前に、自らが開発し、投下した原爆と通常の爆弾と比較して、こう話した。
「こっち(原爆)の方が、簡単だったんだ、たった1個だからね、毎日毎日空爆するより」

博士:
戦時中は、必ず、罪なき民間人と言われるが、罪なき人なんていないんだよ。戦争に、何らかの貢献をしていたのだ。罪なきの人なんていない。誰かを非難したいのであれば、日本の軍隊を非難するべきです。
私にとっては、銃弾で死のうと、爆薬で死のうと、原爆で死のうと、普通の銃弾で死のうと、死ぬときは死ぬんですよ。
残酷なことなんです。あなた方は、ある意味、生き残ったから幸せです。生き残らなかった人も大勢いるんですから。

私の望みは、戦争の早期終結でした。天皇が賢明にも降伏しなければ、あと一週間ほどで、もっと多くの都市が、
同じようなタイプの兵器によって破壊されたでしょう。ルメイ将軍と第20空軍は、引き続き、焼夷弾を使って、都市を壊滅し続けたでしょう。

私は謝らない、こんな言葉があるんだよ、Remember pearl harbor(真珠湾を忘れるな)。

https://note.com/tbsnews/n/nd57e693886ae