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さらば!林野庁による「林業の成長産業化」

通常、物事というのは、「あちら立てればこちら立たず」といった二律背反(トレードオフ)のケースが多い。例えば、これまでの「経済・生産」対「環境・公益」などはそのような関係にあったといえる。

 それに対して、「予定調和」とはドイツの哲学者・ライプニッツによる哲学用語で、「神があらかじめ定めていた調和によって世界の秩序が整っているという原理」と説明される。宇宙は無数の単子(モナド)からなり、互いに作用し合うことなく独立しているが、それが調和しているのは神の定めたところによるというものだ。

 私利私欲に突き動かされる人間たちの無秩序で乱雑な行動も、アダム・スミスによる「市場」という仕組みの発見できれいに説明できた。アダム・スミスはその説明の美しさに感激して、市場には「神の見えざる手」が働いているといったとされているが(真偽のほどは分からない)、ここにも神による予定調和的な考え方を見て取ることができる。

「林業における予定調和論」とは?
 林業に関しては、聞き慣れない用語の多いことが特徴だが、「林業における予定調和論」もその一つだろう。

 日本の林業では、「樹木伐採を含む林業生産活動をきちんと実施すれば、森林の持つ水源を涵養する機能、国土を保全する機能、自然環境を保全する機能などの多面的・公益的機能を同時に引き上げることが可能なのだ」という考え方が江戸時代から日本には広まっていた。

 林業においては、「経済・生産」と「環境・公益」が対立するのではなく、両立するというこの考え方は、明治時代に入っても受け継がれ、1897年に制定された「森林法」に組み込まれ、さらに戦後に至っても1951年森林法や1964年林業基本法にも受け継がれたのであった。

「黄金の国ジパング」から停滞期へ
 「森林を乱伐すれば、土砂災害や水害が発生する」という二律背反的因果関係は、日本では古代から広く認識されていた。最初は奈良盆地における都造営に関わるものである。

 また、日本は16世紀始めから17世紀末というわずか200年間で、人口が約1200万人から約3000万人に達する世界史的にも稀な発展を遂げた。これは戦国時代の軍事技術としての大土木建築技術(堀を掘る、石垣を積む、穴を掘る、大建築物を造営する)を民生用に転用することにより、大河川を制御してこれまで沼地だった全国の沖積平野を美田にしたことが大きい(水田面積2倍以上)。さらに、里山からの肥料(草、落ち葉、堆肥等)が豊富だったことにより、面積当たりの米の収量もきわめて高い水準であった。

 このような結果、日本の人口は中国・インド(約8000万人)に次いで第3位を誇ることになった。もちろん人口密度は世界一である。世界から注目される「黄金の国ジパング」となったのである。

 このような巨大な発展により、各地で木材需要が激増し、全国の森林資源は「尽山」(森林資源枯渇・木材飢饉)という状態になった。そして、上流部に森林がなくなれば、水飢饉あるいは大洪水が起きるとの認識が広がり、乱伐の禁止、木材利用節約や上流部への播種・植林などが推進されるようになった。

 また、日本の巨大な発展期を担った豊臣秀吉は、天下統一後さらに発展を拡大すべく16世紀末に2回にわたって朝鮮半島から明を侵略しようと企図した(文禄・慶長の役)。この企てが朝鮮・明連合軍によって挫かれたことや、徳川幕府三代将軍家光による鎖国政策(1639年)により、日本全体が発展期から停滞期への転換を余儀なくされることになる。停滞期にあって3000万人の人口をどのように養うのか。
3つの優れた山林管理法の登場
 鎖国下では、過剰な人口を養うために限られた国内の資源を徹底的に利活用していくしかない。なかでも国土の8割を占めたと想定される山林という植物資源の利活用方法が問われることになる。

 ただし、山林は過剰利用すると直ぐに禿げ山になる。一旦禿げ山になるとその復旧は困難をきわめるだけでなく、土砂の流出により河川床の上昇、さらに洪水発生の原因となる。山林の利活用というのはただ必要なものを伐って使えばよいのではなく、山林をいかに上手く循環させながら(山林生態系を保全しながら)、生活に必要なものを無理なくいただくのかということが根本課題となるのである。

 この課題に対して、1)村共同体による厳格な里山(村持山)の利用ルール確立による禿げ山化の防止、2)奥山における天然林の利用ルールの確立(例:木曽総山見積五拾年一周の仕法、留山・留木制度)による乱伐防止と天然林適正利用、3)奥山における人工林経営法の確立