普天間飛行場移設問題で鳩山首相退陣
 沖縄県宜野湾市の中心部に位置し、市街地での米軍機墜落事故などが懸念される米海兵隊の普天間飛行場の移設は、移設後の跡地の日本返還を米政府が約束した1996年以降、具体策でつまずき続けてきました。同県名護市辺野古の米軍基地キャンプ・シュワブへの移設が決まったのは2005年。06年には滑走路の形状などを条件に名護市が受け入れを決めたことを受け、辺野古沖の埋め立て案で両政府が合意し、稲嶺恵一県知事も容認を表明しました。

 10年ぶりに動き始めた普天間移設を、「最低でも県外移設」と宣言し、白紙に戻したのは、民主党の鳩山由紀夫首相でした。辺野古移設への反対運動が勢いを増し、県と名護市も反対に転じます。鳩山氏は「10年5月末までの決着」を約束しますが、代替案を準備していたわけではなく、日米関係も悪化しました。結局、5月下旬、06年合意をほぼ踏襲した辺野古移設案で両政府が改めて合意し、反発した社民党は連立政権を離脱。鳩山首相は迷走の責任をとり、6月2日に辞任を表明しました。