元来、亡命が目的で朝鮮に渡ったわけではありません。赤軍派、当時のよと号ハイジャック闘争は、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を世界革命の国際根拠地にする、具体的には朝鮮で軍事訓練を受けて帰国し、その年(1970年)の秋に予定されていた「70年安保決戦」で首相官邸占拠闘争などを武装闘争として行い、運動の高揚をはかること、すなわちその年の秋までには日本に戻ることを予定したものでした。

いま私たちが「政治亡命者」としてあるのは、当時の日本政府が私たち「赤軍派学生」も含め「よど号」乗客、乗務員の受け入れを朝鮮政府に要請し、それを受けた朝鮮政府の国際法に則った措置の結果です。当時、「よど号」で来た乗務員、「人質」の政務次官は帰国を希望したので帰国し、払たち「赤軍派学生」は残留を希望したので、国際法に定める「政治亡命者受け入れ」規定に従って、朝鮮政府が受け入れてくれたのです。

私たちとしては「政治亡命」する意思は当初からなく、どこまでも帰国して日本の地で政治活動することが終始変わらない気持です。
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