>>232
いろんな状況証拠があるけど、俺が説得力があるなと思ったのは2つ

・明治天皇の后の昭憲皇后が「昭憲皇太后」になっている
普通、生前の最高の位で呼ぶのが習わしだから、「昭憲皇后」とすべきなのに、「昭憲皇太后」になっている
表向きの理由は、大正時代に宮内省から上がってきた書類が間違って「昭憲皇太后」になっていて、大正天皇がそのまま決裁したから
天皇の決裁は絶対なので、たとえ間違いでも後から訂正することはできないという理由
しかし本音は、昭憲皇太后は暗殺された明治天皇の后であって、入れ替わった明治天皇にとっては前の天皇の后だから「皇太后」になったという理由

・皇居前広場の目立つところに楠木正成像があるが、楠木正成は南朝方の武士
今の皇室は北朝の末裔ということになっている
つまり敵側の銅像が皇居にあることになる
しかし南朝の末裔と名乗る大室寅之祐が明治天皇になったのだとすると、楠木正成像があるのもおかしくない