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工業高校志望から難関大学に合格。「高校出たら働くのが当たり前だと思っていた」

日本には、東京大学だけでなく、早稲田大学、慶応大学など私学の雄や、音楽芸術系の東京芸術大学など、様々な難関大学があります。今回はいつもと趣向を変え、東京大学以外の難関大学出身者に話を伺います。
 高井宏章さんは元日経新聞の編集委員で、2023年6月に退職して以降はフリーの経済コラムニスト・YouTuberとして活躍しています。経済に関する知識や経験を活かし、「経済とは」をやさしく、楽しく解説するコンテンツを世に送り出しています。

 作家としての代表作は、中学生2人が謎の教師から経済や社会のメカニズムや「働くことの意味とは」を学ぶ青春小説の『おカネの教室』です。

「育ちがいい」とは真反対の人生
 駆け出しライターに丁寧に接してくださる高井さんと向き合った時、私は「きっとこの人は育ちが良いのだろう」と思いました。ところが実際はむしろ「育ちがいい」とは真反対の人生を歩んできたそうです。

 親が事業に失敗し、貧しい少年時代を過ごしたという高井さん。経済的にも大学に進むのは難しかったのですが、それ以前に、「『大学ってなに?何するところ?』と何もわかっていない状態でした」と言います。

「私は三人兄弟の三男です。家族や祖父、祖母などには大卒者はおらず、父は中卒で母は高卒でした。兄二人も高校を卒業後に就職していました。私が高校に上がるころには自分以外全員の家族が働いていましたから、自分も高校を出たら就職して働くのだろうな、と思っていました」

「自分が大学に行く」という発想すらも浮かんでこない環境にいた高井少年に、中学三年生の時、大きな転機が訪れます。進路指導の日に友人からある質問を受けたのです。

「廊下で順番を待っているとき、友人から『高井ちゃん、進路どうするの?』って聞かれたんです。『工業高校行くよ』って答えました。そしたら、その子が『お前、俺より頭いいのに普通科行かないの!?』って言ったんです。もうポカーンとしちゃって。普通科なんて行ってどうするんだって。で、お前はどうするのって聞いてみたんです。そしたら『俺は普通科行ってそのまま大学行くんだよ』って……ビックリしました」
大学に進学するという意識はなかった
 高井少年も、大学なる機関がこの世に存在することは知っていました。しかし、それらが自分と地続きの場所にあるとは全く思っていなかったのです。「普通の人」が大学に行く。その「普通の人」の中には自分も含まれている。「自分も大学に行けるのか?行くべきなのか?」。さまざまな疑問が頭を駆け巡りました。

「先に言った通り、高卒の兄二人は働いていたし、先輩や友人には中学出たらそのままトラックドライバーの見習いになる人だっていたんです。それを見て『早く働いた方がいいよな』と思っていました。それに、実家の自営業の手伝いばっかりしてましたから、働くってことは慣れていたというか、抵抗がなかったんです」

 彼には「働かないと食えない」という強い意識がありました。勉強が嫌いだったわけではなく、むしろ得意な方で、小学生の頃から読書量も多かったそうです。それでも「好きなこと、知りたいことだけ、知ればいい」というスタンスで、体系だって勉強したことはなく、まして大学に進学して勉学を続けようという意識はありませんでした。

授業中に誰もしゃべらない教室が新鮮だった
 筆者が今回のインタビューで印象に残っている言葉があります。それは、「勉強と大学が自分からは見えなかった」という言葉です。「勉強して、どうする」「大学に行って、どうする」と考える以前に、それらが自分とは一切関係がないところにあるように感じられていた。「勉強なんてしたくない」と反抗することすらなかったというのです。

 進路指導前の友人との会話を経て、「どうも自分は大学に行ったほうがよさそうだ」と気が付いた高井少年。ですが、大学に行って何をするのか、そもそもお金がいくらかかるのかも分かりません。奨学金という制度すら知らなかったのです。

 それでもいろんな人に相談した結果、大学に行くと決断します。親からは「自分たちには大学のことなんて何も分からないから、これから先のことは全部自分で考えて決めろ」と言われたのだそうです。独り立ちの瞬間でした。

「高校受験に備えて、初めて勉強をしたんです。通っていた中学校はひどい状態で、廊下を原チャリが爆走したり、授業中に教室で野球してたり……窓ガラスなんていつも割れてましたしね