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スタンフォード大が50〜60代に提供する「新しい人生を生きる授業」の中身

人間の平均寿命はこの1世紀で飛躍的に伸びた。その結果、キャリアを終えてから心身が急激に衰えるまでの数十年は、これまでになかった「新たなライフステージ」として定義されつつある。
それまで自身のアイデンティティの大部分を仕事に依存してきた人の多くは、この期間をどう過ごせばいいかわからずにいる。米誌「アトランティック」が、米国で続々と増えつつある「退職後の生き方」を学ぶエリート大学のプログラムを取材した。
アン・ケナーは長年にわたり、連邦検察官としてマフィアや麻薬ディーラーと渡り合ってきた。
「スリルのある仕事が好きなんです」と言う彼女は、検察の仕事にやりがいを感じていた。自分が役に立っていると感じられたのだ。
そんなケナーの人生に転機が訪れたのは、彼女が50代のときだった。幼少期から問題を抱えていた彼女の弟が、拳銃自殺したのだ。2人は子供の頃から折り合いが悪く、33年間、口をきいていなかった。弟は社会から孤立して被害妄想に陥り、何十年も前から、家族とほぼいっさいの連絡を絶っていた。
それでもケナーは、弟の死によって「心を激しくかき乱されました。自分がなぜそんなにもショックを受けたのか、その理由を理解したいと思ったのです」と話す。
ちょうどその頃、ケナーは当時スタンフォード大学が創設したばかりの「ディスティンギッシュト・キャリアズ・インスティテュート(DCI)」という新たなプログラムについて耳にした。キャリアを引退し、残りの人生でやりたいことを模索している大人向けのプログラムで、参加者の大半が50代から60代だった。
参加者たちは数十人のグループで1年間ともに学び、次のステージに向けて自己改革をおこなう。「息抜きになるから、一歩引いてのんびりする良い機会だよ、と誰かに言われました」とケナーは振り返る。
だが、彼女がこのプログラムで経験したのはそんなものではなかった。「息抜きどころか、真っ逆さまに突き落とされたんです」
まず「履歴書は捨てよう」
入学初日、スタンフォード大学医学部の研究者で、このプログラムの創設前は医学部長を務めていたフィル・ピッツォは、参加者らに向かって「履歴書は捨てましょう」と言い放った。
「それはもうあなた方のことではありません。役には立たないでしょう」
ケナーはその言葉を胸に刻んだ。「こう思いました。オーケー、これまで私がやってきたことは何ひとつ重要じゃない。これから先やることは、まるっきり違うことじゃないと駄目なんだ、って」
ケナーにとって、キャンパスで過ごした最初の数日間は衝撃的だった。参加者の大半は、ITや金融業界、または何らかの事業で大きな成功を収めた人たちだったが、もはや何の経営にも携わっていなかった。彼らは実質的に大学1年生に戻り、バックパックを背負い、授業を受け、学期末レポートの書き方を思い出そうと奮闘していた。
ある日、ケナーがプログラムの学習エリアに入ると、「最大の成功者にして、最大のクソ野郎だった男」が床に仰向けで寝転がっていた。
「いったい、そこで何をしているの?」とケナーは尋ねた。
彼は返事ができる状態ではなかった。過呼吸に陥っていたのだ。「大成功を収めたその65歳の男性は、自分の人生が様変わりしたせいで、すっかりパニックに陥っていたんです」とケナーは振り返る。それからの1年で、彼とは親友になったという。
米エリート大で増える「ポストキャリア・プログラム」
プログラムのある時点で、参加者らは立ち上がり、自分の「人生の旅路」における重要な事柄や、履歴書の記述よりも奥深い事柄についてグループの前で話すよう求められる。
ケナーは弟について話した。それは人生を一変させるような体験だった。ケナーの家族にとって、弟の問題は常に秘密のベールで包まれ、公然とは語られてはこなかった。しかし、ようやく彼女は理解した。
「秘密にすることは、私たち家族にとって非常に危険なことでした。私にとって、弟の物語を打ち明けることは、すべての問題からの独立宣言になったのです」
現在、ケナーの人生は新たな展開を迎えている。スタンフォード大学での経験から数年が経過した今年5月、彼女はサンフランシスコのマジック・シアターで、ヘンリー8世の2番目の妻アン・ブーリンについて自身が書いた戯曲のワークショップをしていた。アン・ブーリンは、ケナーが生涯のヒーローと仰ぐ人物だ。
私たちが話をしたとき、戯曲はリハーサルの最中で、昼間は脚本の読み合わせ、夜は脚本の書き直しにかかり切りとのことだった。「眠れないほどワクワクしています」と彼女は話した