
https://news.yahoo.co.jp/articles/bece192aeeba9e6ceafd404d04c6e6e5d117ff90
元首相の命を奪った銃弾で、胸の議員バッジは粉々に砕け散った 拾い集めた捜査員、受け取った昭恵さんは何を思ったか。「弔い合戦」の最中、突然の取材に語ったこととは
奈良市の近鉄大和西大寺駅前の路上で安倍晋三元首相=当時(67)=が応援演説中に銃撃され、亡くなった事件から1年が経過した。殺人未遂容疑で現行犯逮捕された山上徹也被告(42)は、3月までに殺人など五つの罪で起訴され、今は大阪拘置所で裁判の開始を待つ。その山上被告が撃った1発の銃弾が、安倍氏の胸にあった国会議員バッジに命中していたことはほとんど知られていない。政治家の象徴ともいえるバッジが砕け散った事実は、取材の過程で知るまでは表には出ていなかった。衝撃を端的に物語る情報の真相を確かめられないか。安倍氏の妻昭恵さんに渡されたと聞き、当時奈良支局員だった私は悩んだ末、山口県に向かった。遺族としての昭恵さんの心情を考えれば、歓迎されざる訪問であることは明らかだった。突然の取材にもかかわらず、昭恵さんが語ってくれたこととは
事件が起きたのは、参院選の投開票日を2日後に控えた昨年7月8日だった。そこから2カ月余りが経過した9月27日。戦後の首相経験者として吉田茂以来2人目となる国葬が東京・日本武道館で営まれた
会場には富士山の裾野や山頂の雪化粧をイメージした大きな式壇がしつらえられ、安倍氏の遺骨はその中央に安置された。衆院議員であることを示す円形のバッジや、北朝鮮による日本人拉致問題の解決を願うシンボル「ブルーリボンバッジ」は箱に収められ、中身が見えるようにふたを開けた形で、遺骨に寄り添うように右隣に置かれた。
私は当時、奈良市内で国葬のテレビ中継を見ていた。事件の捜査状況を取材するのが主な担当で、安倍氏が亡くなったことに関する情報に日々接していたが、国葬の映像を見ても、亡くなったという実感は正直、全く湧いてこなかった。
▽バッジは撃ち抜かれていた
箱に入っていた議員バッジが事件当日、安倍氏の上着に着けられていたものだと私が知ったのは昨年11月のことだ。直径2センチのバッジが撃ち抜かれていたのを知ったのもこのとき。安倍氏に致命傷を与えた2発の銃弾と同じタイミングに発射された1発が、真横から当たったとみられる。
弾が命中したバッジはバラバラになったが、奈良県警の捜査員が拾い集めて昭恵さんに手渡した、という情報にも接した。ブルーリボンバッジも割れていたのだという。国葬で飾られたバッジは復元されたものだったのか―。「ウラ取り」と呼ばれる確認取材を進めたい思いもありつつ、当時は奈良県警による捜査の行方を追うので手いっぱいの状態が続いていた。
▽表に出る昭恵さん
昭恵さんは9月の国葬に参列した後も、多くの場面で表に出てきていた。10月は安倍氏の選挙区があった山口県での県民葬であいさつし、立憲民主党の野田佳彦元首相による国会での追悼演説は、議場内で遺影を抱えて聞き入った。政権を争った相手からの心のこもった言葉に、昭恵さんは「野田先生にお願いして良かった」と目に涙を浮かべた。
12月には山口県下関市にあった安倍氏の事務所閉鎖に立ち会い、涙ぐんで看板を取り外す様子がテレビに映し出された。安倍氏の後継者として、当時の下関市議に立候補を打診したとも報じられた。しかし、記者とテレビに囲まれる機会がありながらも、事件について口を開く場面はなかった。
安倍氏が亡くなった後も、元宰相の妻として務めを果たす姿を見て、昭恵さんの声を直接聞きたいという思いは強まっていった。
▽一度きりのチャンス
バッジの真相に近づけないまま時だけが過ぎ、今年4月に入って衆参両院の補欠選挙が告示された。安倍氏の死去に伴って空白区となっていた山口4区も対象の一つ。後継として自民党から立候補した吉田真次氏は、昭恵氏が打診したその人だった。「弔い合戦」に連日のように同行して吉田氏への支持を訴えていると聞き、接触を試みることにした。
大切な人を事件で失った遺族としての昭恵さんに、こうした取材が余計な負担をかけるであろうことは容易に想像がついた。他方、日本社会に衝撃を与えたあの事件をあらゆる角度から報じる上で、割れたバッジのことを語れる唯一の関係者として、取材をお願いすることには意味があるのではないか、とも考えた。選挙期間中、唯一の機会となった2日間を使い、奈良から山口へと向かった。