長崎の永井隆は「原爆は神の摂理」と言って、これも当時かなり波紋を呼んだ
今言ったら、炎上必至の発言だな

永井隆を知らない人のために

長崎医科大(現長崎大医学部)で放射線医学の研究をしていた医学博士
クリスチャンでもある
長年の放射線医学の研究から白血病にかかり、原爆投下の3か月前に余命3年の宣告を受けた
妻に2人の子供を託すが、原爆で妻は即死、自らも長崎医科大で被爆、病床に伏す
2畳しかない「如己堂」というバラックに2人の子供と住み、執筆活動を始める
「長崎の鐘」「この子を残して」はベストセラーとなり、一躍時の人となる
昭和天皇やローマ教皇の使いも見舞いに訪れた
昭和26年、43歳で没

その永井隆がクリスチャンの立場から原爆投下を「神の摂理」と解釈し、
「原子爆弾が浦上に落ちたのは大きな御摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」と述べた