こっちの記事のががわかりやすいな
完全に派遣命令出してる
こりゃ越権とみなされても仕方ないわ

当時、陸上幕僚長の執務室は4階にあり、地震でエレベーターが止まっていたため、11階から階段で一気に駆け下りました。下りるなかで、生存確率の高い72時間以内に人命救助を行うためには東北方面隊だけではマンパワーが足りない、全国から隊員を集めなければ対処できないと考え、執務室に入るなり、君塚東北方面総監(当時)を始めとして全国の5人の方面総監に電話をかけ、出動を指示しました。

 結果的に、このような迅速な判断が、陸上自衛隊の初動の早さにつながり、約2万人もの多くの方々を救出できたことにつながったと自負しております。

――災害派遣を指示するにあたり、派遣する部隊と待機する部隊はどのように決めていったのでしょう。

 陸上自衛隊は全国を5つのエリアに分け、北部(北海道)、東北(東北)、東部(関東甲信越)、中部(中京北陸近畿中国四国)、西部(九州沖縄)の各方面隊を置いています。私は5人いる方面総監に、残置部隊すなわち待機部隊と、派遣部隊を明確に分けることを話しました。

 たとえば西部方面総監には、福岡の第4師団と小郡の第5施設団は直ちに派遣、ただし沖縄の第15旅団と熊本の第8師団は絶対に動かすな、といいました。これは東シナ海周辺の情勢を鑑みたとき、国防の隙を作ってはならないと考えたからです。

 このような考えのもと、中部方面総監や東部方面総監、北部方面総監にも指示を出しました。加えて、このとき派遣する部隊についても連隊(約600人から1000人程度)や大隊(約200人から400人程度)規模で分けるのではなく、師団(約6000人から8000人程度)や旅団(約2000人から3500人程度)を指定し、師団・旅団単位で派遣するよう指示しました。加えて施設団(重機やボート、架僑装備などを多数有するいわゆる工兵)の同時派遣も指示しました。