1995年12月に解散命令が確定したオウム真理教の麻原彰晃・元代表(本名・松本智津夫)の娘で、
かつて「アーチャリー」と呼ばれた松本麗華(りか)さん(40)が毎日新聞のインタビューに応じた。



現在、「宗教2世」という言葉が独り歩きし、社会からの差別やレッテル貼り、信仰に対する圧力、家族間の不和など、さまざまな問題を引き起こしています。

中には「確かに宗教が原因かもしれない」と思うものもありますが、社会や差別する側の問題、親や家族間の問題が、「宗教2世」という言葉でひとくくりにされ、
特定の宗教を攻撃する口実にされているように思われてなりません。

私は16歳で教団を離れ、現在心理カウンセラーなどをして働いています。教団を離れてから25年近くたっていますが、いまだに社会生活を送る上でさまざまな困難を抱えています。

しかし、私はそれが「宗教2世」だったから、とは考えていません。
公安調査庁から「教団の実質的な幹部である」と一方的な主張をされたり、マスコミによる報道被害が重なったりして、今の私が置かれている困難な状況がつくられたからです。

「麻原の娘」だからそうなったんだ。いわゆるオウム事件のせいだろう。恨むならおやじを恨め。教団さえなければ、そんなことにはならなかったはずだ。
まさに「宗教2世」の問題じゃないか――と考える方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、「宗教2世」や「加害者の娘」でなくとも、社会から排斥してよいと判断された人は、さまざまな差別にさらされることとなります。

それは、障がいを持った方、公害による病に苦しめられた方、被差別部落出身の方などに対して、社会がとってきた対応を見れば明らかです。
差別や迫害は、具体的な根拠や理由がなくとも、誤った情報や偏見によって容易に発生してしまいます。

その中で、この差別は仕方がない。あいつは「宗教2世」だから仕方がない、「加害者の家族」だから仕方がない。障がいがあったら仕方がない。あの病気はうつりそうだから仕方がない――
といった「してもいい差別」を作り「仕方がない」と容認すべきではないと思います。

https://mainichi.jp/articles/20240109/k00/00m/040/093000c

私は最初、「宗教2世」という言葉の意味を、「宗教の影響を色濃く受けた親から生まれた人たち」という意味で使われているのだろうと考えていました。

しかしながら、報道などを見ると、「宗教2世」という言葉が使われるのは、怪しいとされる新宗教の親を持つ子どもに限定されており、いわゆる伝統宗教の子どもは「宗教2世」と呼ばれていません。

しかも近ごろは、「宗教2世」だけでなく、「元宗教2世」という表現も見られるようになってきました。「怪しい」宗教への信仰を捨てた人は「元宗教2世」、信仰を続けている人はいまだ洗脳されている…

https://mainichi.jp/articles/20240109/k00/00m/040/108000c

私は安倍晋三元首相の銃撃事件を起こした男性についての報道を見ながら、「これは宗教の問題だろうか」と考えていました。宗教というよりも、家庭の問題に思えたからです。

「宗教2世」の子どもが受ける被害として、信仰の強制、献金による経済的困窮、育児放棄や体罰、テレビや漫画を禁止される、自由恋愛を許されない――といった例が挙げられています。

しかし、同じ宗教を信仰していても、子どもに愛情を注ぎ、きちんと(ご飯を)食べさせ、子どもの意思を尊重し、好きな進路を選ばせてあげる保護者もいます。

その一方で、宗教と無関係でも家庭に問題があれば、子どもたちは同じように被害を受けてしまいます。