これらの災害対応で岸田政権をが打ち出す1兆円あまりの復興費用は、とりもなおさず税金であり、地域医療や年金という観点からすれば社会保障費そのものです。
災害復興が進んでも、地元の事業者が潰れて働き口がなくなれば、必然的に年金のみが収入の生活になる高齢者や生活保護を受けざるを得ない世帯が増えます。
これらの財源は、日本の勤労世帯の社会保険料です。

地元の採算・生産性が回復する「良い復興」が進まなければ、国民の社会保険料負担はますます重くなるし、発行される国債が一層多額になり納税者負担となることを忘れてはいけません。
勤労世帯の社会保険料負担が重くなり、重税感が国民に広まっているにもかかわらず、こういった生産性が乏しく、自活が難しい地域の復興予算を充分に出すべきだという話が併存してしまうのは、
国民の適正負担の観点から見ても公平性を欠くうえに、そもそも矛盾しています。

地震のような、誰のせいでもない災害に遭ってしまうことは、地域住民の責任ではなく仕方ないことなのだとしても、その復興がある程度、自力でできない限り、
いつまでも公費で地域丸ごと被災者を助け続けることはできないということです。

もちろん、このような議論が行き過ぎれば人口減少の地方は姥捨て山なのかとか、今後激増が予想される未婚で貧困の高齢者に対する安易な安楽死議論のような極論もどんどん出てきてしまうことでしょう。

必要なことは、先にも述べた通り、人口減少で地方社会・経済の衰退は誰かが何をしようとも押しとどめることはできないのだから、
せめて勤労世帯も高齢者も、あるいは都市生活者も地方在住も共倒れにならないように、衰退をきちんとコントロールしながら最善の経済縮小・撤退戦を
日本経済は政策的に図っていかなければならないということに他なりません。


https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78858?page=4