完全論破寝る


【古事記においては、国津神と天津神は対立の構図として記されています。国津神と天津神の軋轢はアマテラスとスサノオの対立からはじまります。スサノオが高天原で騒ぎを起こし追放になった後、スサノオは国津神となり、葦原中国を平定します。そしてその子孫、大国主(オオクニヌシノミコト)の時代には国作りを完成させます。

しかし、突如としてアマテラスが、「地は我が子が治める場所」と言いはじめ、高天原からアメノホヒという使者を送ります。アメノホヒはオオクニヌシに操られ、3年たっても思いを遂げることはできませんでした。その後、2度目の使者までは用をなさず、3度目の使者である、タケミカヅチがオオクニヌシに「国譲り」を迫りました。

オオクニヌシは二人の息子に判断を任せたいと、タケミカヅチに伝えます。息子のコトシロヌシは同意しましたが、もう一人の息子タケミカナタは「力くらべをして、勝利したならば国譲りをしても良い」と答えました。

結果的にはタケミカナタが負けて、国譲りをすることに同意します。大国主は、国譲りの見返りとして、「出雲の国の多藝志(たぎし)の小濱に宮殿を作ってほしい」と嘆願します。この跡地が、現在の出雲大社の場所であると伝えられています。

タケミカヅチは国譲りの使命を成し終えて、高天原に戻ります。その後、天孫降臨が行われ、天と地を統一した神々の統治がはじまることになります。】