飛脚って本当に人間だったの🏃江戸大坂を3日ってヤバいだろ [509981292]
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江戸時代から近代にかけての「旅」をテーマにした展示会が、臼杵市歴史資料館で開かれています。
この展示会は、江戸時代から近代にかけて人々が楽しんだ旅の様子を紹介するもので、市が所蔵する当時の地図や書籍など30点余りの資料が展示されています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20240126/5070017715.html まじなら長距離向けスニーカー買うやつがアホみたいになっちゃうだろ
わらの草履だぞ どういう人がどんな目的で使ってたの。めちゃくちゃ高そうだが 盛り過ぎ整備されてる今でも難しいのにあの時代だよ盛り過ぎなんだよ 駕籠とかも絶対無理だよな
実際に東海オンエアが駕籠かきやってみたけれども、二人で持ち上げるのすら困難やったし
https://youtu.be/UMTdyQNMpwM 飛脚がオリンピックに出たら金メダル取ってた話、ワロタ。 >>9
箱根?なら今でも正月に大学生が毎年駆け上がってるだろ
他に静岡で遭難するような峠なんかあるんけ?
大井川は橋かかってないから難所だったそうだ 常識で考えろよ
なんで馬あるのに徒歩なんだよ
やってる感で一部だけだろ 飛脚は難波走りっていう独特の走法をしててそれで何時間も疲れることなく走れた 何で馬車とか使わなかったんだろう
平安時代でも牛車とかあったのに しかもどうやって走ってたかもわかってないんだろ?
手と足を同時に出すなんとかヴァシリとかしてたらしいが >>26
日本は平野が少ないからだろ
ヨーロッパとは環境が全然違う >>26
馬子にも衣装っていう言葉がある通り、荷馬は使ってたのに、人が乗るのは武士の特権っつーw >>16
アスファルトより土のほうが脚には優しいだろ >>24
たまに難波歩きとか常歩とか2軸歩行とか提唱しだす人いるよね
しかし実用性はハテナだと思ってる、浴衣の時の歩き方程度に思っていいんじゃないかな >>26
馬は軍備品だから規制
他国の侵攻がないからできたこと リレーじゃないの
遭難するような山は通ってなかったと思うよ
当時から旅人用の街道はあった >>1
直線距離で400キロ
車だと500キロ
3日は無理なんじゃね?
たぶん一週間だと思う 嘘に決まってるだろ
そのせいで現代でもナンバだの日本人本来の歩き方走り方だのとデタラメが跋扈してる 平安時代には牛車とかあったのに
何で馬車とか発達しなかったのか不思議だわ 早馬も、整備されたところなら乗り継ぐから、
人でもそうなるか 誰かやってみてくれ
ガチアスリート揃えれば余裕ちゃう 馬だけじゃなく
引き車使えたのは平地に限られるから
発展しなかったか >>13
商人が相場の変動要因を先に知ることにより、チート無双出来る 飛脚はいわば駅伝
各地の飛脚がリレー方式で繋いでいくんだよ
1人で走り通すわけじゃない ラジオもないし大変だったろうな
車ですら音楽ラジオなしだときついと思うわ 600km以上あるし峠超えないといけないから夜も走って10人は必要
不整地で足袋だし、たぶん3日じゃ無理だと思う
馬使ったらいける >>26
馬「車」は車の方の質が低いから速さ勝負の情報通信には向かない
物資の輸送用だあれは
普通に少量の手紙持たせて馬+人だけで行ってた=早馬
早馬あるのに飛脚もいるの?のところはお値段の問題 浅野内匠頭の切腹情報を播州赤穂まで届けるのに5日だったそうだからな。 >>52
>>13
世界で最初にできた先物市場の情報を、送ったり? Googleマップで東京駅-大阪駅間が徒歩で4日21時間
3日で着くにはその倍速に近い速さが要求される 参勤交代制があったから
江戸と大名の領地間のお手紙送る需要はたくさんあった
家来レベルでもお手紙送るからな リレーでよゆうだろとかほざいてるアホばっかでワロタ
無理に決まってんだろガイジ 実際マラソンとかで優勝してる黒人は山を水背負って走り回る仕事やってるらしいからな
現代に飛脚居たら全国レベルでもかなりいい線いくんじゃね?(´・ω・`) てか治安とか最低だろうし殺されて終わりだろうなって思うんだけど 箱根駅伝217.1kmで10時間43分42秒、東京大阪直線400kmを倍の800kmとしても余裕だろ。 馬より飛脚の方が速かったらしいな
最速は旗振り通信で江戸川大阪間を数時間で情報伝達できたらしいが、飛脚が失業するという理由で制限されてたらしい
ジャップらしいな ベアリング付きの特製の下駄使ってたからな
そらもう疲れ知らずよ >>32
ヨーロッパだってスイスだのイタリアだのは山だらけじゃん リレーにしても夜担当が嫌すぎる
科学の発展した今ですら夜の山道は怖いのに、神とか悪霊信じてた時代じゃクソ怖いどころか卒倒だろ 24時間耐久マラソンの世界記録は300km超えているはず >>54
箱根駅伝が何人もエリートを使ってようやく東京から箱根を1日かけて走るのに、道路もろくに整備されてない江戸時代に江戸京都間を3日は無理だよな 駅伝余裕とか言ってるやつ舗装されてない道を延々と走っとけ >>83
だから山間部の信仰とか伝説調べると面白いぞ
夜の山はガチで異世界 もう100メートルずつに配置して全力失そうリレーしちゃえよ
6,000人で足りるだろ
周りに聞かれてもいい内容なら叫んで伝言ゲームすれば音速に近づけるぞ >>88
毎日練習してシューズとか食べ物とか走ることに特化した人間が繋いで半日 >>79
人間ほど長距離走れる動物ってなかなかいないからな
昔の狩猟も鹿とかの踏み跡歩いて追ってくだけでバテたところを捕まえてた >>90
いまトレイルランニングっていう山道マラソン流行ってるぞ
未舗装路を1日100キロとか走る 実際は街道沿いの宿場でリレー形式だったんじゃね
次の宿場までなら全力疾走で行けるだろ 3日は高価格の最速コースで通常コースだと5日位かかるぞ 逆に此処まで捏造と歴史改竄の国で、飛脚の与太話をよくまあ信じられるな
ぜってー嘘だと思うよ
実際は1週間はかかってただろうな >>11
時速20㌔で24時間漕ぎっぱなし、ロボット? つか3日で着いたという情報はいつ伝達されるんだよ
それ自体が間違ってるか盛られてるんだろ >>22
馬を使った飛脚もあった時期があるが
ぶっちゃけ、数キロ程度ならともかく馬は何十キロもある程度以上の速度で走り続けるのは実は人間よりも不得意らしいんだよね
だから結局、人間の場合と同じくリレー方式になるが
江戸、大阪とかの遠距離だとかかる日数はどちらも3日程度と
馬の飛脚と人の飛脚ではかかる日数はたいして変わらなかったらしい >>95
新幹線やら車やら雑過ぎて仕事人かと思った 外国人がびっくりしてる記録があるから本当なんだろう >>112
これ昔からやってるけど今は20時間くらいで行くんだっけ >>108
24時間で走破する東京⇔大阪キャノンボールってのやってる連中がおる
女子でも何人か達成者がおったはず 別にそんなの大したことない
楊貴妃は新鮮なライチを、南方から首都長安まで駅伝で届けさせてたわけで 幕末に日本にやって来た異人さんが飛脚を見て
ほぼ米しか食ってないのにあんなに走れるんなら
肉を食わせたらどれくらい走れるんだって思って肉を食わせたら
全然走れなかったって何かで読んだな 秀吉の大返しが82キロ一昼夜とか言ってるんだから歩いてばかりの当時の人なら割と余裕 天気の良い日に主力をきっちり宿場に揃えて記録をつくるぞー!っていう状況ならギリわかる
お前ら外に出ろ よく外人が飛脚に着目して肉喰わしたらもっと走れるはず~ってホルホルエピソードあるやん?
走るためのエネルギー必要なんだからそりゃ糖質の米のが適してるのは当たり前だろとなる >>26
馬車が通れるしっかりした道がないって事もあるが
馬車は幕府によって禁止されてた
人がひく車も人を乗せるのは禁止だったから荷物を運ぶ専門の大八車になった
牛車はというと貴族しか乗れない物だしね 運ぶ情報が貴重なら、敵に狙われそうだけど、どうやって身を守ってたんだ >>40
なんで棒にぶら下げてるんだろ?
背負子みたいなのあるだろ >>121
書き込み最中に書き込まれてたわ
スポーツ選手だって試合前後や合間は糖質補給するのになんで米持ち上げエピソードになってんだろな 山だらけなのに馬車で越えるなんて無理だぞ
登山やってるやつならわかる >>30
なんでこの人は足袋も履かずに素足でわらじ履いてるんだ
脚絆はちゃんと着けてるのに >>90
しかも
当時は、わらじだからな
普通にあるくだけでも
8キロくらいで
わらじボロボロになったって言うからな
わらじ何足必要なんだってなる 馬が規制されてなかったら道が整備されてもっと早かったんだろうな
島国規制が生んだ無駄な努力がいかにもジャップな話 >>95
wwwww
これだったか
新幹線だけじゃなくて笑う >>30の記事の新幹線乗ってるトコで
>>95のやつ思い出してニヤニヤしてたらやっぱり貼られててワロタ 江戸初期は道路整備すると攻め込まれるから、鎌倉の切通しと一緒で、わざと整備しなかったっていう都市伝説があるよねw >>82
そういう地域では普及してなかったんじゃね? 幾つかの地点に飛脚がいてリレー方式で運んでたって聞いたけど 今軽くググったら東京大阪の特急便は一人が走る距離は10km前後で数十人のリレー形式なんだな
一人で完走する安い便もあるがそっちは東京大阪間一ヶ月かかると 車を持ってたんだよ
江戸時代にはもう車が普及してた >>139
水車すら作れない韓国人が何言っても無駄 一番すごいのはその飛脚が全速力で走れるように夜間足元を照らすやつがいたっていう話を予備校できいた >>124
>>30のリンク先に書いてるけど58人で1人10キロ
だから割と余裕
馬でない理由も書いてるしむしろ急がない荷物を馬で運んだ ケンモメンって東海道五十三次も知らんの?ちょっとヤバない 飛脚は佐川の旧マークと同じように右手と右足、左手と左足を同時に出す走り方だったんだろ
これ早いのか? 箱根越えの担当とか嫌だな
日本橋から品川宿担当でいいかな? 山賊に狙われるんだろ
タイムスクープハンターでみた 3日で届いたかどうかが分かる連絡手段が無かったわけで
荷物預かり日を誤魔化したり日付入りの手紙とかは拒否すれば余裕 交代だから当時の道路事情考えても
十分可能な距離ではある 引きこもりニート想像力無さすぎて道路事情考慮出来ない 少し話は変わるが
自転車を発明した人って天才だよな?
自動車もすごいけど
共に人類の生活に貢献してる 早飛脚はさらにプロフェッショナルらしいね。
知らんけど >>155
継所の数が宿場より多いのでそこらは複数人で分けてたんでないの
箱根湯本や畑宿に集落あるわけだし 東京-大阪間って250kmだろ
俺だって1日40km歩いた事あるし走っていいんだったら80kmくらいは走れるから3日で行けるよ 箱根駅伝だと山ありの100kmを6時間以内で走る
国道一号線を東京から大阪へ(760km)一流駅伝選手で昼夜を問わずリレーすると
整備された道とはいえ、飛脚より1日早い2日で着く計算やね ここまで浮浪雲なしとかジョージ秋山先生も草葉の陰で泣いてるな >>144
普通に古代から使われてる
古代ローマの街道ではすでに馬車用道路と歩道が別れてた 毛利輝元は数万率いて広島〜大阪を2日で移動している。船だがヤバイ速さだ >>172
飛脚も含めた駅伝システムがルーツだろう 日本人のライフスタイルってこの150年で驚異的に変化したな >>172
駅ってもともと飛脚の集積所って意味だったから >>113
仕事人のスペシャル番組だよ
中村主水も出る 県境では関所があったり人力で東京大阪間で書類送ったり考えられんな 車も舗装された道路もあるのに3日かかる日本郵便さんはなんなんだよ 山賊に狙われる時のセキュリティとかどうしてたんだ? >>151
ということは宿場町に1人担当が居たんだな 夜も走ってたみたいなレスがちらほらあるけど街灯もない舗装もされてない江戸時代の夜の道を走るなんて無理くねえか 物流の中心は海路だから陸路が発達しなかったんだろ
江戸時代において、海上輸送は物流の主役でした。
「千石船」(せんごくぶね)と呼ばれた大きな帆船の輸送力は、牛馬を使う陸上輸送の比ではなかったからです。
江戸幕府は、東北・北陸地方の年貢米を迅速かつ安全に江戸まで運ぶために、
1671年(寛文11年)と1672年(寛文12年)に新たな航路を開発します。
この航路はやがて蝦夷地(えぞち:現在の北海道)まで延伸。日本全体をひとつにつなげ、
江戸時代の経済発展の礎となりました。
このとき、商人の町として繁栄した大坂(おおさか:現在の大阪府大阪市)と、
政治の中心地で一大消費地となった江戸との間を行き来していた船が、
「菱垣廻船」(ひがきかいせん)と「樽廻船」(たるかいせん)でした。 >>132
背負子だと中身が
あーもうめちゃくちゃだよ
な事になりそう >>30
なるほどー
中世ジャップの馬は輸送に向かなかったのね 船使ってんじゃね?
当時から海流とか把握してたみたいだし >>191
実際に宿場町ごとに元締めがいてピンはねしてたらしい
>>193
2人一組で1人が提灯持って走ってた 航路は西回り東回りあるから大阪→江戸は運べるけど逆は無理 >>146
飛脚のネットワークが出来てたんだね
恐らく1日に一往復ぐらいで小包を受け渡しするよう待機してたんだろうね 江戸時代後半にはすでに手旗信号で江戸大坂を2時間で通信できるシステムがマジであった
望遠鏡を使って人を等間隔で配置して手旗信号でリレーする 体力消費抑えるためにガイジみたいな走り方してたと言われてるが絶対嘘だわ
あんな走り方のほうが絶たい疲れるだろう >>1
今の感覚で考えると絶対見誤るぞ
今なんて有史以来一番運動しなくなってるからな 宛名はあったとしてろくに住所もない時代だろ
どうやって届けたんだ? この頃はちゃんとリレー方式で運べてたのに
今は一人の運ちゃんが寝ずに突っ走ってるんだもんな 駅毎にバトンタッチで実際は50組ぐらいが分担して運んでるからな
現代ならUber Eatsに近い 箱根駅伝すら箱根に行くのにかなり時間かかるのに
当時の道路と道具でそんなに早く行くのは無理だろ...
川とか考えたら今の徒歩で行く速度と変わらん気もする その頃、江戸に住んでたけど
飛脚が人間じゃなかったことは忘れられてるんだな
人間じゃなかった…… >>49
日本の場合、都市があるのは平野部だけどその都市と都市の間の道は山岳や大きな河川が横断してる
だから長距離交通に牛車やらを使うっていうのは無理があったのが大きいと思われる
都市内の交通に関しては何故普及しなかったのかは知らん そろそろ自転車とか自動車発明したのは日本人って言い始めていいんじゃないの?
自画自賛ネタも枯渇してきたし、少しぐらいの脚色はね? >>56
米の先物価格は狼煙リレーで飛脚なんかよりも全然短い時間で伝達されてたんよね >>209
郵便制度が整うまで
個人が私信を気軽に出すような時代じゃないから
飛脚を使ってるのはどうしても短期間で連絡する必要がある公儀や大店の商家、武士でも大名あたり
細かい住所が必要な場所に住んでる奴はそもそも飛脚なんぞ使わない
飛脚は使わないが、遠方の人間と連絡を取る手段がなかったわけではなく
自分の目的のそっち方面に行く機会がある商人や旅人に言付けを頼むなどして
個人でも文書で情報のやりとりをするような事はあの当時でもけっこうあったようだ
当然の事ながら、そういうのは届くのに下手したら何ヶ月もかかかったりもするが >>30にも記録にあると書いてあるが
リレーでなく一人で堺~江戸を3日て人がいたらしいから不可能ではないんだろね 東海道は箱根と鈴鹿と山科あたりが少々盛り上がってる程度だからまだマシだろう。 >>228
情報だけなら江戸大坂なら2-8時間で届いた >>40
左手と左足が前に出てる
これがナンバ走り? つうか飛脚ってリレーだろ?一人でずっと走らないだろ? >>230
箱根の標高800メートルは少し盛り上がってる程度じゃねえなあ 途中で強盗に襲われると思うんだけど
護衛も一緒に走ったのかな? そういう飛脚文化があったせいかは知らんが、
日本が初めてオリンピック出場した種目は
マラソンだったからな よく岡っ引きは穢多だったとか言うけど飛脚は違うのかな
どういう身分だったのかな? >>228
坂本龍馬は分かってるだけでも140通、手紙を出してるね >>216
×昔から
○今も
>>230
河が多いから天候が崩れると直ぐ増水して足止めくらうよ >>232
手旗とかだと箱根とかの山を越せなくて
そういう所は飛脚を使ったらしいから
二時間ってのは流石に無理あると思う >>243
箱根だけ飛脚使ったという
それ含めて8時間 >>245
馬は兵器だから厳しく制限されてた
飛脚なんぞが馬に乗れるわけがない >>26
今みたいに二車線じゃないから道塞ぐってことで禁止されてたみたいよ 飛脚というからには飛んで走ってたわけで舞空術の使い手だったと推測される ヒマなら散歩がてら東海道踏破みるといい
箱根が天下の険と呼ばれた意味を実感できる >>248
最近だとドローンを目の敵にしたり、鉄パイプに恐れをなしたりなのと似てるな。お上が兵器になりそうなものにビビるのは昔からの伝統なんだな。 >>13
馬の方が高そう
俺の祖先は宿場の馬屋だったと聞いたことある >>225
自転車の後輪カバーを発明したのは日本人らしい >>195
海路を優先するのは当たり前
速度も運べる量も陸路とは桁違いなんだから
古代人の伝播も海路中心だよ
氷河期は陸続きだったからそれによって移動できた~、なんて説は正しそうに見えて半分間違い >>128
馬車は禁止されてないし単に発明できなかっただけだよ
それまで存在しないのに禁止されるわけがない
運搬に牛車が盛んに使われている藩や街道でも馬車は使われてない
幕末まで日本において馬に車を引かせる技術はなかった 平均時速7kmで走れば3日で500km走れる
マラソン男子は時速9kmだからリレー形式なら3日後に着く >>255
東海道とか橋をかけるのも禁止されてたよね
鉄砲射撃が有利になるように江戸側の堤防の方を高くしないといけないとか堤防の高さまで制限されてたからな 馬丁ですら馬の速足に付いて歩き回っててビビったって居留地の外人が言ったくらいだしな
昔の日本人はスタミナお化け >>261
中国では紀元前から馬車はあったのに不思議だよな >>261
箱根の東海道跡とか見たらわかると思うが
日本の街道は登山道みたいな難所が多くて車両が通せない道が多かったからな 関西では平安時代から普通に牛車使ってた
ウマは国産のはポニーくらいの小型しかいなかった
戦国時代のウマは本当はポニーくらいの大きさ
テレビは大ウソ 江戸防衛のために橋をかけるのすら禁止してた幕府が箱根峠とか宇津谷峠とかわざわざ馬車が通せるほど整備するわけがないだろ >>267
京都の街の中だけだろ?
それ以外は輿使ってたよね >>66
一応伝書鳩と同じ方式で、3個くらい同じ内容を書いて別々に送る。
2人までなら殺されてもオーケー。 >>267
中世に使われてた馬の大きさはどこの国でもたいして変わらん
ヨーロッパの騎士もモンゴルの弓騎兵も日本の武士も木曽馬と大差ない馬に乗ってた 箱根駅伝往路が107キロを5人で5時間半だから25人いれば届くね ポニーっていっても大型だからポニーで想像する大きさよりはでかい そもそも箱根駅伝が飛脚オマージュで始まったこと知らない香具師多くてビビるわ 元帰宅部チー牛引きこもり「リレー方式でしょw」←これwwwwwwwwwwwwww 年賀状の時期は地獄だったろうな
寒いしハガキ多いし 西からくる蛮族の様子を箱根まで確認して戻ってくるまで2日
これ防衛間に合わんでしょ >>219
指輪物語のストライダー
韋駄天と訳されたりストライド大股で歩く人
飛ぶ脚の飛脚にイメージ似とる。雇われと放浪者冒険者の違いはあるが。
エルフ寄りで普通の人類とは違うという設定だった 一方モンゴル帝国のジャムチはユーラシア大陸を一週間で結んだ >>267,273
木曽馬(きそうま)
高さは低いけど意外にガタイがいいしトルクもありそうでええやん
ジャップの平均身長は今より低かっただろうしこの短足馬のほうが適してたんやないか
こいつで手紙を運ばせたらだめやったんやろか
https://youtu.be/CVQemIzZIpE
https://youtu.be/gcpHxmIyi4A >>281
奇襲でいきなり城攻めは始めないんじゃないか
秀吉が北条攻めた時一夜城みたいの作るくらいだし >>270
琵琶湖から京都まで牛車で荷物運んだりしてた
>>288
遺伝的には同じかも知れないけど当時の栄養や厩舎の劣悪さを考えるともっと小さかったんじゃね ふむ 今の木曽馬はイマイチ信用できないな
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明治・大正期に行われた西洋種との交配や牡馬の去勢により一時絶滅寸前であったが、木曽馬保存会が中心となって活動が行なわれた結果飼育数は増加。しかし以前のような農耕といった使役を目的とした需要は失われ、高齢化により個人所有者数も減少傾向にある。令和元年時点で木曽において飼育されているのは138頭[1]となっている。
名称については血量が非常に高く純血に準じる純系を木曽種もしくは木曽馬と呼ぶ。別名木曽駒(きそこま)[2]。一方アラブ、アングロアラブ、アングロノルマン、トロッター、ハクニー、ペルシュロン[3]といった西洋種の種牡馬と木曽馬牝馬との交雑の結果生まれた馬たちの子孫は「系」をつけて木曽馬系もしくは木曽系とし木曽馬と区別される。木曽馬牧場以外で乗馬等に使われているのはこうした木曽馬系(木曽系)が多く、時には半血種もいるという[4]。さらには木曽馬と呼ばれているものの血統証明が無い馬、実際の血統が不明な馬も存在する >>291
戦国武将の馬で記録が残ってるので体高140cm強
これは同時代のヨーロッパやモンゴルと比較して特に小さくはない
現代人がイメージする大きさの馬が普及したのは割りと最近 >>294
それは当時最大最強クラスなんじゃないのかな
関西の牛車
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京都周辺での牛車利用は、慶長19年(1614)の大坂
冬の陣の際、物資の輸送に貢献したことにより、全国
営業許可の特権を得たことによっており、淀・納所・
横大路・上鳥羽・京都九条にいたる鳥羽街道、伏見・
竹田街道、大津・逢坂・山科・日岡・粟田口にいたる
山科街道において行われていました。このうち山科街
道の牛車は、敦賀・小浜から琵琶湖経由で大津に集荷された米輸送を主に扱い、路は損傷を防ぐため敷石舗道となっていました。 ZARDが流れない時代にそんなことできるわけ無いだろ 江戸時代に牛車はわりと盛んに使われたのは近江、駿河、広島、仙台等かな。おそらく他にももっとあるだろう。
特に仙台は米の輸送の長距離路でも牛車が使われた
そういう道は馬車にも使えるはずで、実際明治にはすぐに使われている。
江戸時代に馬車が使える道でも馬車が使われなかったのは技術がなかったから。
蹄鉄、去勢、馬と車をつなぐ繋駕器具等が未発達すぎた >>6
黒人奴隷を自由人にして側近に取り立てた殿様の例はある。
その殿様は織田信長。 >>300
大陸と交流はあったのに家畜を扱う技術が恐ろしく未熟だったのは不思議
地形・気候的に牧畜に不向きだったという要素はあってもそれにしても牛馬自体は
利用してたのに 中国や朝鮮やインドやアメリカヨーロッパには飛脚ってなかったんかな >>274
途中で子鹿になる奴とかいて案外ヤバかったかも そもそも当時の日本を今のようなひとつの国として捉えるほうがおかしい
藩の連合であって自由な移動は伊勢参りとかを特例を除いて基本的にできない、物流に関しても自由にできない、藩をまたぐ手紙なんて一般人には不要 >>303
世界中に駅伝制ってものがあってね
今だと駅伝って陸上競技のイメージがあるけど
元々は街道の一定の距離に町を作って情報や人、物を円滑に流通させる為のシステムの事を指す言葉で
そこを行き来する飛脚のような情報専門の人間や職業は当然世界中であったと考えられる 同じ名称を共有した他人なんだろ
それを一人だとして読み解くから24時間走りっぱなしの超人物語なってしまうとかじゃね? 色々と最適化された競技マラソンとは全然違うんだろうな
栄養補給も握り飯とか乾燥させた食べ物になるんだろうか
あと上の記事にあった、わらじが痛いってのはヤバそうだ まあ藩単位の移動で良くそれを越えて移動するのを抑制したのだから政治的にウマは移動に使えない(使えるのは特別な理由のある武士のみ)とかになるよね 道だって今みたいに整備されてないだろうし
駅伝方式だとしても相当速いだろ
凄すぎ >>310
中継所をたくさん設けてて一人が走るのは10qくらいだったそうだから、走りながら食べはしなかったんじゃない? キサマら、牛車を否定するとはジンギスカン作戦を否定する気かっ!!(・`ω´・ ) 米だけじゃそんなスタミナつかないだろうし、
野菜とか魚とかもかなり食ってたんだろうな 山や川はロープウェーみたいなのを利用したのでは?
全ルート走るとか頭悪すぎる >>130
うるおぼえだが、文書を特殊な紙(油を塗って防水)に
包んで肥溜めの底に沈めて運ぶ、というのが
あったはず。フェイクとして ひとりで走りきってると思ってるヤツらが殊の外多くて草
駅伝なんて紀元前1000年のむかしからある制度なのに 当時で考えると異常だよね
道路整備もそうだし履物もそうだし 幕府は馬を軍事転用されるのを恐れてわざと川に橋をかけないとか馬を使いにくくしたんでしょ おそらく実話だろうと思う
丁稚とかも休みほぼなし働いたり
昔の労働階級男はガチでもののように使われて
平均寿命30前半とかだったらしい
弱者男性だのいっても今が一番恵まれてると私は思うよ 由比興津の薩埵峠とか景色いいよな
でっかい健康ランドもある >>300
車使ってた?牛馬の背中に荷物を積んで引っ張って歩くんじゃなくて? >>222
一番下のやつ
なんでペダルも無しで足蹴りで乗ってるねん 江戸時代はオーパーツだらけ
明治政府が隠すために色々消してるから辻褄が合わなくなってるんだよな 整備された街道ではキックボード的なものを使ってたことが判明してるからな >>66
飛脚を襲うのは超重罪だったんじゃなかったか
特に御用のは 現代人がこれやったら江戸時代の人に勝てるのかな?(´・ω・`) ニューヨークタイムズ 世界の話題
エリウド・キプチョゲ そのマラソン哲学
更新日:2018.11.05 公開日:2018.11.05
近代以降、彼ほど突出したマラソン選手は出ていない。
いかに偉大な長距離ランナーでも筋肉を傷めたり胃の調子を壊したりして、勝利から遠のいていった。
キプチョゲは決してそうならなかった。
子どものころ、キプチョゲは一人でひたすら走った。
それが学校往復の移動手段だった。いったいどれほど走ったのか。
まさかそれがマラソン選手としての基礎になるなんて、当時は考えてもみなかった。
育ったのはケニア・ナンディ地区の小村カプシシイワ。
母は教師、父は彼が幼少のころに亡くなった。キプチョゲは4人の子の末っ子だった。
10代で学校を終えると、キプチョゲは近隣の酪農家から集めたミルクを市場で売り、家計を支えた。
https://globe.asahi.com/article/11922237
実際 生活の糧として子供の頃から走ってると
自然とそういう体型になってくるんだろう 世界(=西欧)標準の近代化をひたすら拒んだ劣化日本
今の日本の問題のかなりの部分(もしかしたら全部?)
は飛脚なんかを整備()した糞な時代のせいだろ >>337
箱根駅伝に出るような連中が国道一号線を昼夜を問わずリレーして東京から大阪に向かったとすると
タイムからの計算上は飛脚より1日早い2日で大阪に着く事になる サムスピだとカリフォルニアまで走ってきて爆弾投げてくる >>22
昔の馬って日本固有の背の低いどっしりしたタイプで速さはない ほとんどの人間は地元を出ることなく死んでいったんだろうな 伊勢詣りとか大山詣りとか庶民でも結構旅行してたみたいだよ 長距離を走る飛脚もそうなんだけど
人間を二人で担いで街中を歩く駕籠屋なんかは
どんな身体してんだよと思う
https://i.imgur.com/PAp2Bss.jpg >>298
安い飛脚は走らないで荷物馬に乗せて歩いてたのか
全員が半裸で走ってたわけじゃねえんだな >>8
武士以外はいわゆる乗馬はしてはいけないんだよ。馬方に引かせて荷物扱いで乗るような形でしかムリでそんなんではスピードは出せない >>255
その割にはというかその反動というべきか
心中や仇討ちが賞賛されていたのは江戸文化の面白いところだよな
山上への同情にもこの流れがあると思う 明治初期に熊本のど田舎で生まれ育った金栗四三がマラソンのベストタイム2時間19分台だから
江戸時代の飛脚も現代と比べて少し劣るくらいには早く走れそう >>111
人間が他の動物より圧倒的に優れてるのって持久走だってなんかの漫画で読んだ 黄門様だって歩いて諸国漫遊 縄文のむかしから、この国の人間は歩きで全国
津々浦々に至るまで陸路を拓き続けていた 万葉集にだって、武蔵の国(東歌)から
信濃(長野県)を経由して大宰府(北九州)の防人に徴収されるだんなを労わる歌が
残ったりしてる 徒歩で旅をすることなんてへーちゃらな国民だったんだ
途中途中に険しい陸路があったとしても、途切れることなく古代都市から古代
都市への街道はキチンと整備されてた(整地の意味では無く)
江戸期だって江戸からお伊勢参りの伊勢講とかも有名
歩ける道がちゃんとあるなら急ぎ足だろうと小走りだろうと、行けるなら行く 能登で明らかなように道路や橋を整備しても当時の技術では地震台風高潮津波などで数年おきに破壊されてただろうから立派な道を整備する意味がなかったのかもね 中国大返しとかの事実だけみても現代人とは基礎体力がまったく違うのがわかる 今は汗だらけになって1日風呂入れないと我慢できないとかいうから戦争なんてできっこないな 一日にどのくらいの取扱量があったのかとか知りたいな
江戸大阪間で手紙何通とか荷物どのくらいとか
ある程度1日何便とか作ってまとめて運んでたんでしょ? マジレスすると
ジャップ=嘘つきの一言で説明できる >>101
これだよ
一人で走るわけじゃない
情報の重要性は古来から誰でもわかってるから、
早く情報を伝えるための体制づくりはどの権力者でも取り組む 旗振り通信
熟練した者によってスムーズに旗振りが行われた場合、1回の旗振りを約1分で行うことができたと考えられ、旗振り場の間隔を3里(12km)とした場合、通信速度は時速720kmということになる。大阪から和歌山まで十三峠経由で3分、天保山経由で6分、京都まで4分、大津まで5分、神戸まで3分ないし5分または7分、桑名まで10分、三木まで10分、岡山まで15分、広島まで27分で通信できたといわれている[15]。江戸までは箱根を超える際に飛脚を用いて8時間[† 4]であった[17]。 リレー方式で馬が走れる場所は馬で、人が速い所は人で運んでたって学校の授業にも出て来たろ 江戸時代の伝馬は原則公用しか使えなかったようだ
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「伝馬」とは、幕府の公用をこなすために宿駅で馬を乗り継ぐ、その馬のことをいいます。
そして、公用の書状や荷物を、出発地から目的地まで同じ人や馬が運ぶのではなく、宿場ごとに人馬を交替して運ぶ制度を「伝馬制」といいます。 馬の話ししてる人結構いるけどサラブレッドやないんやで
種の名前はよくわからんが競馬で走ってるようなスラッとしてでかい馬は
日本に入ってきたの明治以降やろ
在来種なんてデブったポニーみたいなやつばっかやで 江戸の重大事件とかが地方の諸大名より先に民間に届いてしまうのも嫌だったんだろう >>370
乗れ無いわけでも人より遅いわけでも無いけどな 『源平盛衰記』では鵯越の逆落としで大力の重忠は馬を損ねてはならずと馬を背負って坂を駆け下っているくらいだからな >>356
汗をかく能力、つまりは冷却能力が優れてんだよね
だから長時間の運動が可能になる。近い種の霊長類にもないヒトの優れた能力だね
>>370
日本に在来種の馬なんていない。すべて渡来人によってもたらされたもので歴史はせいぜい2000年がいいところ。日本の馬はーなんて他と違う特別なものみたいに語るのはバカのやること >>375
江戸時代には車なんか街中で使う荷車だけやぞ
人間が乗る車は無い 間に50箇所以上ある宿場で次の飛脚にリレーする形式だから1人が走る区間はせいぜい10km
駅伝と大して変わらん >>66
親書しか運んでないから襲っても意味ないのわかってたんじゃね? ていうか現代の脚力のレベルと比べると
遅すぎではあるな
現代人なら遅めの人でも10キロ30分で走れるから
25時間あれば500キロなんて余裕
3日は時速7キロだし
歩いても余裕じゃないか >>383
わらじで悪路を、って条件つけただけで
ほとんどの現代人は不可能になりそうだが >>383
10キロ30分て42.195kmを2時間6分ペースだぞ
オリンピック金メダルレベル
その3倍で一般人の遅いくらい 車輪使わないとか馬使わないというのがアホみたい
平安時代に牛車があったんだから進化進歩当たり前にあるはずなのに
徳川幕府が反乱させない為に車輪禁止してたとしたら恐ろしいほど上手い政治支配 意図的に大井川に橋を作らなかったんだからそうでしょ 「飛脚走り」ってロストテクノロジーなんだろ?
どうやって走ってたか資料が存在しないというw
バイクくらい使っただろう。 >>389
禁止する/しないの以前に、近代化する前はゴムもサスペンションも無いってのもわかってない?
木の車輪なんてゆっくり移動にしか使えねーよ
馬は今でも超金持ちしか飼えない。昔でも同様 ちなみに車は物資の輸送には普通に使われてた
こういうの
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/dc24e2ef51d67133ce62e896a8757b34a162becd
>物資輸送の効率化に寄与した京都〜大津間の「車石」。
>『東海道』では安全のため、京都に向かって左に人馬道(往還、歩道)、右に牛車道が併設して設けられていたそうです。 駅伝ってそこから来てる競技なんだ
箱根だけじゃなく東海道全部走ったほうが盛り上がるのにな >>24
長い棒担いでたら捻ったほうが走りにくいからああいう走り方にしかならん
靴がないので筋力で走るんじゃなくてフォワフットで自然と前に出る感じに走れてたとは思う >>79
人間ほど体温を上手く逃がせる哺乳類はないらしい >>396
いや新聞屋が東海道五十三次をモチーフにした京都~東京のマラソンリレーっていだてんでやってた >>396
盛り上がるかな?
長すぎるエンタメって見てる方もしんどいよ
単純に完走できるチームも少なくなるだろうし >>397
狼煙なんか大昔
江戸時代は望遠鏡使った手旗信号リレー >>95
早駕籠は乗ってる方も落ちないようにしがみついてるので大変だったらしいな。
ゆっくり寝ることも出来ない。 反乱防止のために技術を廃れさせるって思考回路がジャップ >>408
欧州なんかは愚民政策だしどっちがええんやろな フルマラソンが2時間だから理論上1日ぐらいで走破可能 >>402
ずっと望遠鏡眺め続けてる要員も大変だな >>407
体感的にはパンパンに膨らませたタイヤの方が接地面積小さくて明らかに軽く漕げる気がするのだがそういうもんでも無いのか >>182
やっぱりそうか
仕事人ってこういう現代ネタ必ず入れてたよな >>413
交代しただろうし当時の労働としては楽な方では
とマジレス >>416
何交代制だったん?
まあ手旗なら明るい時間帯だけなんだろうけど >>418
バイク便が暇なツーリングに見えてる人? 東海道じゃなくて中山道だよ
みんな箱根越えに騙されすぎだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています