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平安時代の天皇たちが猫を溺愛した切ない理由

日本最古の猫日記を
書いた第59代・宇多天皇
平安時代の日本にも猫はいた中国から渡来した貴重な猫は「唐猫」(からねこ)と呼ばれ貴族・皇族たちに愛されていた
『源氏物語 第34帖 若菜上』には「からねこの いとちいさく をかしげなるを(唐猫がとても小さくかわいらしいのを…)」とあるちなみにその唐猫は少し大きな猫に追いかけられ思わぬハプニングとなる事の顛末(てんまつ)はぜひ『源氏物語』をお読みいただきたい
【「光る君へ」の猫が話題】平安時代の天皇たちが猫を溺愛した切ない理由
『絵入源氏物語』にはひもにつながれた2匹の猫がいる国立国会図書館所蔵
源氏物語の一節は印象的だがこれより100年以上も前に唐猫を丹念に記録した人物が別にいた第59代・宇多天皇だ在位は887(仁和3)年から897(寛平9)年NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場する「倫子」の曽祖父に当たる宇多天皇の記録は日本最古の猫日記であり現代のブログのように愛猫と過ごした日常が記述されている
猫と日本人の歩みをエピソードでたどった『増補改訂 猫の日本史』(戎光祥出版)でも宇多天皇の日記は極めてリアルかつ生き生きとした猫の様子がつづられていると高評価されている同書を共同執筆した歴史作家の桐野作人氏は語る
「猫愛好家のあいだでは猫が『ニャー』と鳴くそぶりをしているはずなのになぜか声が聞こえない“サイレント・ミャオ"が有名ですが1000年以上も前に宇多天皇がそのしぐさを記しているのです猫へ向けられた鋭い観察眼と深い愛情を感じます」(桐野氏)
なお当時の猫は「浅黒色也」(色は浅黒)が多かったというが宇多天皇の猫は「此独深黒如墨」(墨のように漆黒)だった
【「光る君へ」の猫が話題】平安時代の天皇たちが猫を溺愛した切ない理由
まるでアンモナイトのように丸まって眠る猫
宇多天皇はそんな愛猫を注意深く観察し「其伏臥時団円不見足尾宛如掘中之玄璧」(臥せると丸くなり足と尾が隠れて黒い玉となる)などと日記に書いた
この姿勢はいわば現代の愛猫家が言うところの「アンモニャイト」(化石のアンモナイトに似ているさま)である宇多天皇は今から1000年以上前にアンモニャイトの愛らしさに気付いていたのだ
こうした猫への愛情は宇多天皇亡き後紫式部が『源氏物語』を書いた時代の貴族・皇族にも受け継がれていく次ページ以降でさらに詳しく解説しよう
昌子内親王と花山天皇
猫が二人を結び付けた
「しきしまの 大和にはあらぬ 唐猫の 君がためにぞ もとめ出たる」
『夫木和歌抄』所収の和歌だこの和歌には「詞書」(ことばがき)という説明部がありそれによると「三条の太皇太后宮」が「猫はいませんか?」と問いかけたのに対し高貴な男性がこの和歌を添え猫をプレゼントしたという
三条の太皇太后宮とは第63代・冷泉天皇の皇后・昌子(しょうし)内親王のことを指している
そしてこの和歌を詠み猫を贈った高貴な男とは冷泉天皇の第一皇子第65代・花山天皇であるいずれも平安時代中期の人物だ
花山天皇の生母は冷泉天皇の女御・藤原懐子(ふじわらの・かいし)であるから昌子と花山天皇は義理の母と息子の関係に当たる
冷泉天皇と懐子のあいだに花山天皇が生まれたのに対して昌子は子宝に恵まれなかった
一方の花山天皇は当時の権力者・藤原兼家(かねいえ)が孫に当たる皇子を早く天皇にしたいがため譲位を迫られていた花山天皇は17歳の若さで即位したもののこの環境に嫌気が差して19歳で出家した
上記の歌が詠まれた時期は分からないが子のいない昌子と権力闘争に巻き込まれた花山天皇は猫を仲介役として親しくなった可能性がある――桐野氏はそうみている
「昌子は『栄花物語』に『えもいはず美しき女御』と書かれるほどの美女でした花山天皇は美しい義母に猫と一緒に歌を贈ったとも考えられます艶聞の多い天皇だったようですから戯れとは思いますがどこか二人のロマンチックな交流をほうふつさせます」
息子を慰めるため猫の
誕生祝いを挙行した藤原詮子
もう一つのエピソードは「光る君へ」に登場する藤原詮子(せんし/ドラマではあきこ)を巡ってのものである
詮子は藤原道長の姉である第64代・円融天皇の女御として入内し男児を産んだこの皇子が第66代・一条天皇だ後に道長は自分の娘の彰子(しょうし)を一条天皇の中宮として入内させた詮子からすると自分の息子にめいが嫁いだことになる
だが彰子は入内した時まだ12歳の幼身で天皇の子を身ごもれる年齢には達していなかった一方で一条天皇は他の女御とのあいだにできた子が流産するなど寂しい思いをしていた
その頃に記録されているのが猫の出産祝い「産養」(うぶやしない)である本来は人のために行うものだが子猫が生まれたことを受け祝いの儀式を執り行ったというのだ