https://news.yahoo.co.jp/articles/e174e231feb0ae1584a4b642011899d5b2317f19


「街や集落が元に戻るかどうかは、住民の意思と地域の条件によります。住民の意思とは、ここに住み続けたいと思う意思です。
地域の条件とは、働く場所があるかどうかと、後継者がいるかどうかです。『市街地』は修復するでしょう。
輪島市などでは火災もありましたが、市の中心部は地域住民の生活を支えているので復旧できると思います。

『中心集落』というのは、若者も住んでいて一定の雇用があるところで、その町自体に雇用がなくても、仕事先まで通える地域も含みます。
そこも復旧するでしょう。問題は『小さい集落』です。高齢者数人しかいないとか、跡を継ぐ子どももいない『小さい集落』については、難しいと思います。
今後さらに住民が減少し、共同体の維持も難しい。できれば、市街地や中心集落に生活拠点を移してもらう。
ある程度の『選択と集中』『復旧の優先順位』が発生するのは避けられないでしょう」



岡本さんがこうした考えに至った背景には、東日本大震災での反省がある。1995年の阪神・淡路大震災のとき、まだ日本は人口が増えていた時代だった。
そのため、道路などのインフラを元通りに復旧させるのが基本的な復興の哲学だった。ところが、2011年の東日本大震災のときには、人口が減少に転じる時代に突入していた。
このときもすでに「再建は厳しい」という声があったが、地元の声が優先された。

「地元の意見を聞くとみんな『戻りたい』と言う。それで希望に合わせて災害公営住宅などもつくった。
しかし、実際にできたら戻ってこなかった。その理由は人口が減っている中で、ある程度の人口がある町でないと病院や商店などが再開しないからです。
さらに仕事もない。一方、郡山市とか仙台市とか都市部に移った人は仕事もあるし、生活環境もいい。そうなると地元に戻ってこない人が出始める。
すると、人口減少がさらに加速するので、より生活が成り立たないという循環に陥ってしまったのです」

沿岸部では、漁港がある地区ごとに10戸や20戸の住宅が高台につくられた。だが周囲には病院もなく、商店もない。バスなどの公共交通機関もほとんど来ない。
住民は、市の中心部にある病院や商店や学校に車で通う。

「それだったら、市街地に住宅を移してもらい、漁師さんにはそこから漁港に通ってもらうようにすべきでした。
そのほうが、住民の生活環境も良い。小規模な集落では市街地よりも高齢化、人口減少が進んでいます。復興のあり方として『これでよかったのかな』という反省があります」