責任をとりたがらない日本人

比較的最近、『中島義道』というコミュニティを発見し、そこに加入して掲示板などをみていましたところ、
この人の著作で『対話のない社会』(PHP新書)という本が紹介されているのを発見しました。
紹介者は、当コミュニティにも在籍されているエコロさんです。

で、これを読んでみたところ、その中に、日本人は自分の「選択と決断」についてふりかかる個人責任を
回避するために、独特の行動パターンを取っているということを指摘している部分があるのを発見しました。

それは、まず自分から自発的能動的に行動するということはほとんどなく、
相手や周囲の人間の出かたをうかがい、「様子を見る」ことを出発点とします。
状況が流動的なうちは、行動の選択肢は複数あることになります。
そのような状況下でそこでなんらかの選択や決断をした場合は、その選択や決断をしたことの責任が自己にふりかかる。
日本人はそれを避けたがるというのです。

そこで状況が流動的なうちは、選択や決断はせずに様子を伺い、無為無策を決め込み、
選択の余地がなくなり「こうするよりほかに仕方がない」状況になってようやく行動に出る。
そうすることによって責任の追及をのがれようとする。
「あのときはああするより仕方がなかったのだ」という弁解の文句の切り札を残しておこうとするわけです。
これが、日本人の「選択、決断、行動」に対する基本的態度であるとしています。