藤原道長の年収は3億円超、下級貴族は680万円以下…平安貴族たちの「給与格差」の知られざる実態
2024年2月18日 6時15分 プレジデントオンライン

■ノンキャリア組は女房に頭を下げる
昇格には何の客観的基準もない。天皇を頂点とする上流貴族たちの思惑一つで決まる。権力者に袖の下を贈るか、おべっかを使うか、哀願するかだ。紫式部の父藤原為時は一編の漢詩で天皇を動かし越前守を勝ち取った。

紫式部が日記に「数にしもあらぬ(物の数ではない)五位」とするその五位以下の人たち。親の七光に浴する家柄ではない彼らがねらう旨味のあるポストは、地方の国守だ。紫式部の伯父で、従四位下摂津(大阪府北西部と兵庫県南東部)守で終わった藤原為頼は、生まれた孫が女子だと聞いて、

后(きさき)がねもししからずはよき国の 若き受領(ずりょう)の妻がねかもし
(天皇の皇后候補か、そうでなければ収入の多い国の若い国守の妻の候補になれよ)
藤原為頼(『為頼朝臣集』)
と祝福した。美しくかわいい子だったので祖父の欲望が丸出しの歌である。しかし、為頼も子供たちも四位あるいは五位で、主として国司の最上席の受領だから、后候補は高嶺の花。せいぜい天皇家や上流貴族のメイド的な女房だ。

受領の妻なら見込みなしとはしないが、高収入で若い男となると難しい。若い受領の多くは権門上流貴族の子弟だからだ。彼らは中央でポストを持ち兼任で受領を務める。『蜻蛉日記』作者に求婚した藤原兼家は兵衛佐だったが、兼任で紀伊権介を務めていたし、藤原時平、藤原兼輔、藤原実頼、藤原道長など、皆このタイプだ。

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