このころを考える時、思い出す逸話がある。

 それは小田の学生時代、毎回、コンサートを手伝ってくれていた高校の仲間たちの一部から「小田には感謝の気持ちがない」と責められたという話である。この時、小田はまさに青天の霹靂だったようで、こんな風に話している。

「みんな充実感をもって楽しくやっていると思っていたんだ。ステージに立って歌う係とサポートしてチケットを売る係の、役割の違いだけだと思っていたんだ。だから感謝の気持ちって言われて本当に驚いた。みんな楽しくやっていたじゃないかと。ヤスと地主は言われないわけよ。彼らには感謝の言葉とかがあったのかなあ。この時、あ、違ったんだと思ったんだ。全体を見れていない俺っていうのもあったんだろうね。突然の一揆みたいな感じで、すげぇショックだった」

 状況は全く違うが、鈴木に「『さよなら』は小田が書いた曲で、俺のヒットじゃない」と言われた時も、「えっ、『さよなら』はオフコースのヒットだろ」と思った自分がいたようなのだ。俺が、俺が、という意識が希薄な小田らしいエピソードとも言えるのだが、それでは済まないこともあるということだろう。

(4ページ目)「全体を見れていない俺っていうのも…」鈴木康博オフコース脱退とうらはらだった小田和正の“マイペースさ”
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