本年1月1日、石川県は能登地方を震源とする大地震に見舞われ、人的、物的に甚大な被害を被った。
その直後に自衛隊に緊急救援出動命令が出た。
そのようなとき防衛大臣は現地にかけつけ、隊員の陣頭指揮にあたるべきであった。
たとえば航空自衛隊輪島分屯地。
それが無理ならせめて航空自衛隊小松基地、あるいは陸上自衛隊金沢駐屯地とか。
ところが木原稔防衛大臣はひたすら東京都の防衛省大臣室に引きこもっていた。
石川県羽咋郡志賀町の原発事故を恐れてのことだった。

今後もし悪意をもった他国が日本に攻撃をしかけた場合、配下の一兵卒、一兵卒には戦線に突入を命じて戦死させ、防衛省幹部連中は大臣をかこんで後方でぬくぬくと遊び暮らそうという魂胆である。

ちなみに、日清戦争(1894年)の際、政府は広島に大本営を移し、畏れ多くも明治天皇も広島に滞在されました。