哲学者は社会にとってのアブ

「移動の自由は根源的な権利」

コロナ渦の当初、私のような哲学研究者には感染症について述べることなど何もないと思っていたからマスメディアに発言を求められても断っていたのだが、
ある哲学者の発言に出会いその気持ちに変化が訪れた。その哲学者とはジョルジオ・アガンベンである。
この78歳のイタリアの哲学者はコロナ渦について果敢に発言し、ネット用語で言う「炎上」に巻き込まれていた。
その姿を見ていて私は彼の述べるところを日本にも伝えなければという気持ちに駆られた。

アガンベンは二つの懸念を表明していた。一つは、多くの人々が葬儀もなく埋葬されている現状についてである。
もちろん遺体から新たな感染が生じる可能性は理解できる。だが、我々が死者への敬意を何のためらいもなく放棄しているとしたら、社会はどうなってしまうだろうか?
生存以外のいかなる価値をも認めない社会とはいったい何なのか?

周知の通り、イタリアは今回の感染症で最も強い被害を受けた国の一つである。
その中にあってアガンベンは、「死者の権利」が、「生存」の名の下に踏みにじられている現状に強く反発したのである。

もう一つは移動の自由の制限についてである。現在行われている「緊急事態」を理由とした移動の自由の制限は、戦時でも誰も思いつかなかったものだとアガンベンは言う。
ここには、移動の自由が単に数ある自由のうちの一つではなく、近代が権利として確立してきた様々な自由──思想の自由等々──の根源にある自由だという考えがある。

https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00100.html