◆「刑罰の本質は、ルール遵守と将来の犯罪予防」
2008年に東京・秋葉原で7人を殺害し10人を負傷させたとして、加藤智大元死刑囚(39)の死刑が7月、執行された。
古川禎久法相(当時)は執行時の会見で「凶悪犯罪が後を絶たない状況にかんがみると、罪責が著しく重大な凶悪犯罪を犯した者には、
死刑を科することもやむを得ない。死刑を廃止することは適当ではない」と述べた。

死刑を巡っては、「人を殺せば死で償うべきだ」「被害者や遺族の心情から必要」「犯罪抑止に必要」などの存続論、
「誤判の場合に取り返しがつかない」「更生の可能性がなくなる」「人道上許されない」などの廃止論がある。

「昔から同じ論点が出され、話が進まない。これでいいのかと感じた」。法制審議会会長も務める中央大大学院の井田良まこと教授(刑法理論)は話す。
今年「死刑制度と刑罰理論」(岩波書店)を刊行し、死刑は理論上成り立たないという観点で論じた。

井田氏によると、刑罰の基本は犯罪に見合った罰を科すこと。ここで考えるべきは犯罪が傷つける対象だ。被害者だと思いがちだが、刑法上は「法規範(ルール)」なのだという。

「対象が被害者だと考えると、贈収賄など被害者のいない犯罪は説明がつかない。刑罰の本質は、ルールを守らせ、将来の犯罪を予防することだ」
 人は育つ過程でルールの順守を学ぶ。「たとえば非行少年はルールの学び方が不十分だったということ。刑罰を科して更生を図る」

◆「死刑の犯罪予防効果、科学的に証明できない」
だが、1990年代以降、日本は犯罪に対して重罰・厳罰化の時代に入った。背景に被害者保護の考え方があった。「保護立法が進み、並行するように『もっと重い刑を』となった」

学者の間でも、犯罪と被害者らの痛みを天秤てんびんの一方に載せ、「重い犯罪なら死刑が当然」との主張が出てきたという。冒頭の法相の発言とも重なる。
井田氏は「被害者のために刑罰を科すことが正しいかのような考え方が広がった。分かる面もあるが、刑罰の本質ではない」と異を唱える。
「刑法は個人が犯罪に向かうのを抑制することで、法益と将来の被害者を守り、社会の秩序を維持するためにある。
過去に目を向け報復しても社会のプラスにならない」

犯罪が傷つけた相手が「社会の秩序を守る法規範」と考えれば、「死刑は法規範という公共の利益のために命を奪うことになる」というのが井田氏の見解だ。
「今の憲法上、公益のために死んでくれという考えは認められていない」

死刑が将来の犯罪を抑止するという意見は根強い。これについて井田氏は「死刑の予防効果は科学的に証明できない。
刑罰制度は推測で成り立っている面がある」と指摘する。

欧州など死刑廃止国での刑罰の考え方は、処罰感情の充足に重きを置いたものではなく、規範侵害の回復にあるという。
「日本人は『目には目を』を後生大事に考えているんだね、と見られている」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/207395