>>168
共通一次からセンター試験に切り替わる直前の1987年やね
それまでの1校受験から、Aグループ・Bグループから2校受けられるようにして、両方の合格発表見てから決めることができた
そしたら東大京大W合格者の9割が東大選んで京大は恥をかいた

で翌々年の1989年に分離分割方式と呼ばれる前期日程・後期日程で行う方式を京大が導入して、
前期日程で受かった受験生はすぐ手続きしないと入学資格を失うことになった

その後、東大を始め多くの難関校が分離分割方式にしたので、2校受験の建前はあっという間に崩れ去り、
実質前期日程だけの1校受験、後期日程は敗者復活戦という位置づけになってしまった

ある本では「京大のエゴが2校受験の理念を崩した」と酷評されてた