このままでは続けられない」震災の記憶伝える語り部、資金難と高齢化に危機感 それでも伝えたい現状 #知り続ける

3/10(日) 17:01配信

東日本大震災の悲劇を繰り返すまいと、被災地では語り部たちが教訓の伝承に取り組んできた。1月の能登半島地震など全国で自然災害が多発し、命を守るためにも伝承の重要性は増すばかりだ。一方で、資金や後継者の不足から活動の継続に不安を抱く語り部は多く、支援を求める声が上がっている。

■被災地の現状伝えたい

「このままでは、私のような個人では活動を続けられない」。岩手県陸前高田市で語り部をする釘子(くぎこ)明さん(65)は2023年の年の瀬、高台に再建した自宅のリビングでつぶやいた。
釘子さんは13年前の3月11日、母親を連れて地域の公民館に避難したが、自宅は津波で全壊した。その後、避難所で運営の中核を担い、無料共同浴場「復興の湯」の運営に携わるなど、被災者の生活環境の改善に尽くした。
高校時代からカメラに親しみ、被災状況や避難所の様子を撮影していた。ホテルマンとして30年間働き、初対面の人にも自然体で接することができた。震災翌年に所属したNPOで首都圏の大学生らに体験を語るうち「多くの人に陸前高田の状況を伝えるのが自分の仕事」との思いを深めた。
「復興まで伝え続けたい」と願った。活動を継続するには経済的な安定が必要と考え、当初から語り部をなりわいとすることを目指した。対外的な信用を得るために一般社団法人を設立し、釘子さんと事務員の2人でスタートした。現在は市内をバスで巡りながら話す場合は1万5000円、市内での講演会は3万円、市外の講演会は5万円――などで請け負っている。

■来訪者減で経営厳しく

団体客が多かった14年は約1万2500人を受け入れ、朝から晩まで説明する日が続いた。その後は訪れるボランティアが少なくなったことなどから減少し、新型コロナウイルスの感染が拡大した20年は800人弱に落ち込んだ。21年にオンライン講話も始めたが回復は鈍く、今も年間1000人程度にとどまる。19年秋に開館した市内の県営施設「東日本大震災津波伝承館」が入館無料のため、伝承館に訪問客が流れ、語り部の利用者が減ったと釘子さんはみている。
来訪者の減少で法人経営が厳しくなり、設立時から月給12万円で雇っていた事務員には2年弱で退職してもらった。コロナ禍で収支は赤字となり、自分の給料を月20万円から12万円に減額したが、それも捻出できない状態が続く。得意のアユ釣りやシロウオ漁の売り上げなどでしのいでいる。
一方、語り部活動には経費がかかる。パソコンや復興状況を撮影するカメラ、資料や写真の印刷用のプリンターといった機材は酷使するため故障が早く、買い替えの出費は痛手だ。年間約11万円の法人税は負担が大きく、解散を考えている。「語り部の話を聞くことは震災の疑似体験に等しい。意義深い活動だ」と自負するが、資金不足は活動の継続に致命的だ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9951b5983ce0e71d69c26483e87f70fbe5707a43