最終的に三角地帯に避難することになり、教職員と児童らは地震発生から40分以上たってから全員徒歩で移動を開始した。防災無線は「海岸線や河川には近づかないでください」と呼びかけており、このとき既に、町の側溝からは水が噴き出し、堤防からは水があふれ始めていた[21]。

児童らが県道に出た直後、堤防を乗り越えた巨大な津波が児童の列を前方からのみ込んだ。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて裏山を駆け上がり、一部は助かった[22]が、迫りくる津波を目撃して腰を抜かし、地面に座り込んで避難できなくなった児童もいた[23]。家族が車で迎えに出向き、独自に避難した児童は助かった[23]。

教諭の中で唯一生存した男性は、その列の最後尾にいて学校の裏山に登って助かった。その際にこの男性教諭は、3年生の男子生徒を助けている。
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