パーレビ国王の息子🤴「女性が自由に生きられるイラン王国を取り戻す」 [878970802]
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【ワシントン共同】1979年2月のイラン革命前の王制で皇太子を務め、米国で亡命生活を続けるレザ・パーレビ氏(63)が16日までにワシントンで共同通信の取材に応じ、中東各地の武装勢力支援や国内の人権弾圧を続けるイランを強く非難した。外交では現状を変えられないとし「唯一の解決策は国民による体制転換だ」と訴えた。
イスラム聖職者を頂点とする反米体制が成立したイラン革命から45年。パーレビ氏は反体制派の象徴としてイラン指導部から目の敵にされながらも講演などでイランの現体制を追及している。
イランで抗議デモが繰り返し起きるのは、国民が女性抑圧や経済制裁下の景気低迷に「うんざりし、座視できないからだ」と指摘。イスラム組織ハマスなど中東各地の武装組織に資金を供給し、地域を不安定化させるイランの動きが「変わることはない」と断じた。
外交交渉によるイランの姿勢変化を期待してきた欧米の主要国は「驚くほど弱腰だ」と不満を表明した。 お前の王朝も田舎者が堕落した王朝追い払ったイランあるある王朝だろw アメリカ石油メジャーと癒着した王族とその取り巻きが
イランの莫大な石油嫌煙をアメリカに売り渡し
おこぼれをもらう夢よ再び
石油の利益をイラン一般国民なんぞに回すより
アメリカさまに献上することこそ民主化運動 この人の弟や妹って亡命先のアメリカで自殺してるんだっけ 世俗的なイラン王国のままだったらどうなってたのかは気になるよな
中東イスラム諸国で唯一の先進国になってたかも パレスチナでアメリカのダブスタがバレたからな
ヒジャブかぶらすからなんだってんだ >>6
こんな生活出来てたのは実は上級国民だけ
みんなこんな生活なら革命なんて誰も支持しなかった >>12
イランの王朝はセルジューク朝からモンゴル挟んでず~っと外来のテュルクに王朝奪われて
それもオグズ部出身氏族の連合のなかでどの氏族が主導するかってだけのもの
実質800年間、地方の支配層はおんなじ部族
このパフレヴィー朝はマザーンダラーン人のレザーシャーが建てたけど、イランの実権をイラン民族に取り戻した点では革新性があった
だからこれまでの交代劇とは種類が違うんだよ
パフレヴィー朝が倒れる原因となった世俗化の一貫で、イランナショナリズムを古代ペルシャ的な伝統に求めたのはテュルクの風の一掃と氏族部族や都市のアイヤール支配といった自治的傾向の打破の為でもあった このパーレビ朝の支持団体がアメリカで凄い活発に活動してる
メディアにも盛んに取り上げられ始めた
完全に工作 どうやって欧州はキリスト教の軛から逃れることができたんだろう?
アメリカは未だに縛られているし 今は逆にイスラム諸国の揺らぎなさの方が好感がもてる
どれだけ分断されても宗教や民族の誇りを捨てなかった中東諸国やアフリカ諸国こそ尊重される素晴らしい人たちで何かにつけて自由や博愛だのお為ごかしをつけて他国を侵略したり分断工作をしたり最悪殺したりする奴のどこがいいのか 前王朝がこんなこと言っても逆効果だわ
革命は理由なく起こったわけじゃない でもネトウヨはイスラム原理主義のほうが好きなんだろ? はい、一般国民は貧困にあえぎ氏んでも路上に放置されてようが上級女性が牛乳風呂につかり高級シャンパン片手に優雅に自由に生きられる社会ですね >>23
タリバン前のアフガンみたいなもんなんだろ
首都の上級国民だけ自由主義とやらの恩恵を受け地方の一般国民は悪政で苦しむ 復権を目指すような連中がこのようなスローガンたてにするなんて便乗商法すぎて笑えない、絶対的な権力は絶対に腐敗する、なので王様なんていらんです🏺カルトなどまぎれ込まないきちんとした民主主義を >>29
彼らみたいな連中とは理解し合えないからダメだよ 懲りないねえ こいつらホントにしつこい もう半世紀以上やってんだからな 実はこの王朝事態がアメリカの傀儡だったりするからややこしいです
1953年、アメリカCIAが支援したイラン軍部が、石油国有化を進めたモサデグ政権を倒したクーデタ。
1953年8月19日、パフレヴィー朝のイランで石油国有化を断行したモサデグ政権を倒した軍部クーデタ。これによっていったん実権を失い海外に亡命していたパフレヴィー2世が帰国、専制政治を復活させ、イランの石油国有化を中心とする民族主義政策は挫折した。このクーデタはイギリスの石油資本(アングロ=イラニアン石油会社)とアメリカのCIA(中央情報局)が仕組んだものとされている。これ以後は石油市場を安定させるため七大石油会社の合弁会社がパフレヴィー2世と協定を結びイランの石油生産を支配することとなった。
イラン=クーデタの黒幕CIA
アメリカはモサデグ政権まではイランの石油資源に対して権益を有していなかった。1953年のモサデグ政権を転覆させるクーデタは、アメリカのイラン進出の好機であり、事実その黒幕となったのがアメリカの諜報機関CIAだった。アメリカの国務長官ジョン=フォスター=ダレスは、弟のCIA長官アレン=ダレスとともにクーデタ計画を練り、駐イラン大使に実行させた。CIAの資金でテヘランの貧民層を買収して暴動を起こさせたのである。アメリカはクーデタ成功によってイギリスからイランの石油資源の40%を得ることを約束されていたという。後になってイランでのアメリカ外交政策への反発が強くなり、1979年のイラン革命ではアメリカ大使館占拠事件が起こった。イラン革命の指導者ホメイニはアメリカを「大悪魔」と呼び、アメリカ大統領ブッシュ(子)はイランを「悪の枢軸」の一員と呼んで憎悪し合う。この遠因の一つは1953年のアメリカの介入によるクーデタにある。<宮田律『物語イランの歴史』2002 中公新書>
https://www.y-history.net/appendix/wh1601-142.html アメリカはあきらめない 失敗しても失敗しても同じことをやり続ける
たぶんウイグルやチベットもあきらめてない >>40
ややこしいではなくこれ以上なくシンプルだろ 確かに王政時代の方が自由だったけど格差がヤバ過ぎて底辺がイスラム原理主義にカブれて革命が起きたんだからそこを何とかしないとね 革命前のイラン、南ベトナム、そしてわーくに
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