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2度の降板事件、’13年の伝説の舞台、出会いと別れ…「宮沢りえとリベンジ」に関するエトセトラ

台『コヨーテ』で特殊な能力を持つ少女を演じることが決まっていたが「演出の不安が拭えない」といった理由で降りてしまうのだ。このときは、宮沢りえ個人の問題だけでなく、演出と振付師の対立に巻き込まれた側面もあったが、マスコミはそこには目もくれず、宮沢母子をこれでもかと叩いた。要するに、母子に対するバッシングの真っ只中だったのである。

これ以降、宮沢りえの姿がテレビの画面に映る機会は激減した。ワイドショーで報じられるのは、かつてのような華やいだニュースではなく、大半が体調不良か交際報道となった。「AV転向」は根も葉もない噂に違いないが、須藤甚一郎に限らずまことしやかに伝えられ、’90年代はずっと付いて回った。

しかし、宮沢りえは死ななかった。21世紀に入ると、才能が開花するのである。

’01年香港映画『華の愛~遊園驚夢』で、モスクワ国際映画祭・最優秀主演女優賞を受賞したのを皮切りに、『たそがれ清兵衛』(’02年)で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞、『父と暮せば』(’04年)でブルーリボン賞主演女優賞。『透明人間の蒸気』(’04年)で読売演劇大賞最優秀女優賞、『ロープ』(’06年)で紀伊国屋演劇賞、『人形の家』(’08年)で二度目の読売演劇大賞最優秀女優賞……。かつて、ドラマ『スワンの涙』(フジテレビ)で、台詞をたどたどしく読んでいた姿はそこにはなく、映画と舞台を主戦場とする、正真正銘の女優として着実に実績を積み上げていく姿があった。

そして、’13年度の代役である。

ロングラン公演の最終盤になって無念の降板を決めた天海祐希の代役に、宮沢りえを推したのは主演の野田秀樹だったという。幾度かの共演で、彼女の技量を推し量った野田が「宮沢りえなら案外やれるんじゃないか」と踏んだことは想像に難くない。野田秀樹に「やらないか」と誘われた彼女の脳裏に去来したのが、’95年の2度の降板騒動という苦い記憶だったとすれば「いっちょ、やってみっか」と思ったとしても不思議はない。リベンジの機会としてこれほど恰好のタイミングはないからだ。

これ以降の宮沢りえの動きは迅速である。天海祐希が降板を発表した8日未明には、主催者から脚本を受け取り、ここから徹夜で台詞を叩きこみ、9日午前11時に秋以降の舞台の制作発表に出席したのちは、10日未明まで通し稽古。本読みと稽古を併せて僅か25時間。これで、10日のソワレに登場したのだから、日刊スポーツでなくても神懸っていたと言うほかない。