アゾフ連隊とは、結局、何だったのか?

マリウポリといえば、冒頭に触れた籠城戦で主要な役割を果たしていた「アゾフ連隊」が有名だ。彼らはウクライナにとっては対露徹底抗戦の象徴であった一方、ロシアにとってはネオナチであり、忌むべき存在だった。そこで地元の人々に、アゾフは善か悪か、結局どっちだったのか? と聞いてみると、全ての人から「あいつらはヤク中だった」と答えが返ってきた。
アゾフ連隊が2014年にマリウポリを拠点にし始めてから、薬物の蔓延がひどかったそうだ。と言うよりは、一切、検挙されなくなった。一時期、売買に関わっていたという20代の男性は、実際の取引現場を見せてくれた。薬物は主に通信アプリ「テレグラム」を通して取引されていた。売買すれば罪になるが、「売り手が土に埋め、買い手がそれをたまたま発見した」という形にすれば、見つけただけなら犯罪にはならない。テレグラムは通信記録が消せるので、証拠は残らないというわけだ。
50代の女性は、同じ集合住宅の住民がアゾフにスカウトされ、隊員になってから見るからに健康を害したため、除隊してどこかへ引っ越していったと話した。近所では、薬物のせいだともっぱらの噂だった。
また別の人は「アゾフの奴らが、個人商店で代金を払わずに商品を持っていくのを見た」と言う。店主が黙っているので何故かと聞くと、「無駄だ」と一言。アゾフはもともと民兵だったが、ウクライナ内務省の直轄組織である親衛隊となった。親衛隊は治安を維持する警察と軍の中間のような役割を果たすが、それが堂々と万引きするのだから抵抗したくても訴える先がないし、向こうは銃を持っている。だから、無駄だというわけである。
これらの話は全て戦争が始まるより前の出来事であり、当時はまだ国際社会の注目は集まっていなかった。戦争が始まってから日本では町を守るヒーローのように報道されていたが、そのことを筆者が指摘すると人々は「そもそも治安維持とは逆のことをやっていた。絶対あり得ない」と話すのであった。

今は平和
町に出て会話をすればウクライナ派の市民がいるのではないかと思っていたが、そのアテは外れた。実際は、どこの国になってもマリウポリで生きていくと決めた人、ウクライナに恨みがある人、ロシアのほうがまだ見通しが明るいと考える人など、それぞれがそれぞれの理由で現状を受け入れているように見えた。
そして、そうでない人は、戦争の序盤に町を離れ、戻って来てはいない。例えば、ロシアを支持する女性は、自宅が全焼したため知人の家に身を寄せているが、知人本人はマリウポリにはいない。その人は、マリウポリが「無血開城」してまたウクライナの一部となった時に戻ってくる、それまで住んでいて構わないと話している。2人は全く違う政治的意見を持っているが、それはそれとして友情は続いている。また、信頼のおける人に不動産を管理しておいてもらわないと、誰かが勝手に住み着いたり、結果として物件を失ってしまったりという懸念もある。
筆者がマリウポリに滞在していた間、市内に2回砲撃があった。しかし、それでもマリウポリの人たちは、今の状態を平和だと考えている。会話の端々に「平和になってから1年半が経つ」とか「もう戦争は二度と体験したくない」といった表現が出てくるのである。戦争そのものはもちろん続いているのだが、マリウポリの人々にとって戦争はとりあえず終わったことになっているようだ。

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