フェミニストが炎上が起こすたびに(炎上は起きるのではない。誰かが「起こす」のだ。)、一人、また一人と、トンベリの群れは膨らんでいく。

現代リベラルの一つの病理は、この「リベラルの正義の犠牲になった人々の憎悪」が見えない、あるいは見ようとしないという点にあると思う。対立者の痛みを引き受けようとせず、自己には一点の曇りもないというスタンスを決して譲ろうとしない。

Colaboの一件もそうだ。暇空氏を熱狂的に支持し、私財をなげうって寄付する人々がいる背景には、この「みんなのうらみ」があると私は思う。

その人々をミソジニーだとか差別主義者だとか切り捨てて、視界から外すか、「キャンセル」すればそれで解決だ、とみなしているならば、今よりも更に大きな「みんなのうらみ」が、やがて社会を飲み込むことになるだろう。

そしていつか、不可視の包丁が、その持ち主を無視してきた者の背中を刺し貫くときがくる。

以上
https://note.com/dokuninjin7/n/n28da31ac4184