戸塚ヨットスクールとの関係


父親が戸塚ヨットスクールの支援者だったことから、小学5年生の時に兄とともに戸塚ヨットスクールに入学している[30]。



戸塚ヨットスクールの校長の戸塚宏が逮捕、起訴された後は、当時中学生だった長谷川も裁判の傍聴をした[31]。

長谷川は前述の月刊ビューポイントに掲載された、東日本大震災について語る戸塚宏のインタビュー記事を自身のブログに引用した上で、「戸塚校長は、このインタビューの冒頭で、『今回の大震災でよく分かったことは「己の身を守れ」ということだ』と述べていますが、私が期間入校の時に身をもって学んだことが、まさにこの『己の身は己で守れ』ということでした。小学生の夏に、しっかりと身体に刻み込んだこの感覚を、今、国会議員の立場となっても胸に留め置き、日々全力を投じて参りたいと思います。」と述べた[25][26]。

「しっかりと身体に刻み込んだ」とあるが、戸塚ヨットスクール事件では戸塚宏やコーチが、訓練生に対して日常的に体罰や暴力を振るっていたことが明らかになっている。1979年から1982年にかけて、暴行を受けて訓練を強要された13歳の少年が死亡したり、21歳の青年がコーチらから暴行を受け死亡したり、体罰から逃れるために2人の少年が海に飛び込んで行方不明となったり、暴行を受け何度も海に転落させられた13歳の少年が死亡するなどの事件が発生していた。(詳細は「戸塚ヨットスクール事件」を参照)

1971年2月生まれの長谷川は戸塚ヨットスクール事件の真っ最中に入学したことになるが、ブログでは戸塚ヨットスクール事件の被害者達については全く触れられていなかった[25][26]。

戸塚宏が懲役6年の実刑判決を受け、2006年に静岡刑務所を満期出所してスクールの現場に復帰してから、長谷川のブログが投稿されるまでの間に、25歳の訓練生の男性がスクール近くの沖合で水死体となって発見される事件や、戸塚ヨットスクールの寮の3階から18歳の訓練生の女性が飛び降りて死亡する事件や、30代の訓練生の男性がスクール内の寮から転落し重傷を負う事件などが発生していたが、被害者達については全く触れられていなかった[25][26]。

また、長谷川は2009年衆院選で道1区の公認候補となる直前に財界さっぽろのインタビューを受け、戸塚宏や戸塚ヨットスクールの入学について「人間は本当の危険にぶつからないと、本能的な危機管理の力は育たないと思う。いろんな批判は受けても、私は筋の通った意見だと思います」と語っていた[31]。前述の、18歳の訓練生の女性が戸塚ヨットスクールの寮の3階から飛び降りて死亡する事件が発生したのは、2009年衆院選の2ヶ月後のことだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%B2%B3