「大体私は女ぎらいというよりも、古い頭で、「女子供はとるに足らぬ」と思って
いるにすぎない。
女性は劣等であり、私は馬鹿でない女(もちろん利口馬鹿を含む)にはめったに会ったことがない。
事実また私は女性を怖れているが、男でも私がもっとも怖れるのは馬鹿な男である。まことに馬鹿ほど怖いものはない。」

「また註釈を加えるが、馬鹿な博士もあり、教育を全くうけていない聡明な人も沢山
いるから、何も私は学歴を問題にしているのではない。
こう云うと、いかにも私が、本当に聡明な女性に会ったことがない不幸な男である、
という風に曲解して、私に同情を寄せてくる女性がきっと現れる。こればかりは断言してもいい。
しかしそういう女性が、つまり一般論に対する個別的例外の幻想にいつも生きている女が、実は馬鹿な女の代表なのである。」

「女性は抽象精神とは無縁の徒である。音楽と建築は女の手によってろくなものはできず、透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性でよごしてしまう。
構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の現実主義、これらはみな女性的欠陥であり、芸術において女性的様式は問題なく「悪い」様式である。
私は湿気の高い感性的芸術のえんえんと続いてきた日本の文学史を呪わずにはいられない。」

「私は芸術家志望の女性に会うと、女優か女声歌手になるのなら格別、女に天才というものが理論的にありえないということに、どうして気がつかないかと首をひねらざるをえない。」

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