伊能忠敬(55)「地球の大きさを知りたい。日本列島を歩いて測量してみるか」 👈アタマおかしいだろこいつ [566475398]
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死ぬまで努力を続けて大きな仕事を成し遂げた偉人の言葉には、シニアの底力とでもいうものがにじみ出ていて、二一世紀を生きる私たちを力づけてくれます。
最も有名なのは、我が国初の実測日本地図「大日本沿海輿地全図」を作った伊能忠敬(一七四五〜一八一八)でしょう。
忠敬は、下総国(今の千葉県)佐原村で酒・醤油の醸造業を営む伊能家の婿養子となり、傾いていた家業を立て直すために夢中で働くかたわら、
独学で天文学や測量術を学びました。四九歳(満年齢、以下同)で隠居し、翌年、本格的に天文学を学ぶため江戸に出て、
一九歳年下の幕府天文方・高橋至時に入門。寝る間を惜しんで天体観測に励みました。
全国の測量を開始したのは五五歳。当時としては完全な老人です。足かけ一七年にわたり一〇回の測量を行いましたが、日本全図の完成前に七三歳で没します。
弟子たちが完成させた日本全図は、当時としては群を抜く完成度で、のちに明治陸軍でも資料として使われました。
忠敬が測量を始めたのは幕府に命じられたからではなく、「地球の大きさを知りたい」という夢をかなえるために、
緯度一度分の正確な距離を突き止めたかったからです。当時、日本近海に外国船がしばしば現れていたため、
「国防のために精密な地図を作る」との名目で幕府に測量を願い出て許可されました。このあたりは、なかなかしたたかです。
しかし、幕府から支給される手当はわずかで、測量行に必要な多額の資金は忠敬が私財を投入して負担しました。
伊能家は佐原村の名主でもあり、当主時代の忠敬は、利根川の氾濫、浅間山の大噴火、それにともなう天明の大飢饉の際にも、
堤防の修復工事や難民の救済に私財を投じています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/592082e310a22b8570584f3832970f5778921554 最後の方はものすごい有名人になってて各地で出迎えがあったくらいだぞ
出川の充電みたいな感じ んで測量データを元に関西と関東で別々に地図を作ってくっ付けたら最初はピッタリと合わなかったんだよな
伊能以外の当時の日本人が超絶無能で地球を平面として計算していたからそうなったとか
この頭の悪い絶望的な先見の明の無さを感じるエピソードが日本人らしくて気に入っている >>79
日露間で話題だった樺太は島か半島かの議論に終止符をうったしね
半島ならシベリアの延長線でロシアの縄張
島なら日本の縄張と言えるチャンスあり
で島だったと判明 北海道の地図作ったのは間宮林蔵
青森から下の地図作ったのが井上尚弥
なのになぜか間宮林蔵は評価されてないの笑えるよな
本州測量なんてあったかいとこで寝床用意されながら飯食ってヌルいイージーモードで
北海道測量は言葉通じないアイヌと相対しながら全く役にたたない防寒や凍傷やらとの戦いだったのにな 子午線弧の測量
紀元前
ギリシャ人の学者 エラトステネス
ギリシャ人の学者 ポセイドニオス
暗黒時代
中世
8世紀 中国の学者 鉄勒
9世紀 アッバース朝の学者 アル=フワーリズミー
16世紀 フランスの学者 ジャン・フェルネル
1615年 オランダの学者 ヴィレブロルト・スネル
1669年 フランスの学者 ジャン・ピカール
1713年 フランスの学者 ジャック・カッシーニ
1735年~1740年 フランス科学アカデミー ★世界ではここで確定
にほん
1801年 伊能忠敬がはじめて子午線弧の測量 伊能と間宮の戦いが千葉と茨城で起こってるらしいな
それを長久保赤水が笑ってる >>95
凄まじい冒涜レス
じゃあジャップと罵り
高みから当時人を馬鹿にできるお前は
生ける現代人としてどれくらい優秀なんだ?
少なくてもshapeデータくらい使えるんだろうな 確かに間宮林蔵の扱い小さいよな
つくば市出身の俺でも言うほど教わらなかったな
少ない予算で北海道の測量と間宮海峡発見したり、国境問題にかなり貢献してるんだけどな >>101
織田信長や伊能忠敬みたいな人物は評価して尊敬しているけどな
大体地球が球体だって信長の時代に最初に説明されて信長は理解していたのにその後の年代は何やっていたんだよって思わないか
他大勢が理解力が無いとしか言いようがない >>99
一方中国さんは第二次後の戦後復興に大日本帝国の地図を使うのであった… >>104
お前は座標変換の難しさを理解していない
現代でも世界測地系、平面直角座標系と使い分けて使用している >>87
戦前は白瀬の南極探検・昭和は植村直己
毛色は違うが吉村作治なんてのがいたけど
平成以降、私財かパトロンありかは別として
あまり話に上がらなくなった気がする
俺が無知なだけかもしれんが そうなるとホリエモンの宇宙ロケットも
成功してれば凄かったんだろうな 尊敬する人を聞かれたら伊能忠敬って答えておけばオッケー 日本は地学もだが、天文学系も全然発達しなかったな。なんでやろ。 >>113
遠洋航海が必要なら、天文観測をする必要も生まれる
その辺ちゃうか >>110
ありがとう
ちょっと調べたけど、すごい人だな
亡くなったのが残念だ 堀田 仁助(ほった にすけ、延享2年(1745年年) - 文政12年9月5日(1829年10月2日)は、日本の江戸時代の天文学者。江戸幕府天文方で編暦・測量を行った。伊能忠敬の蝦夷地測量に先駆けて、東蝦夷地の測量・地図制作をおこなった。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%94%B0%E4%BB%81%E5%8A%A9 >>109
芸術もそうだけどパトロンってのが大衆になっちゃったからな
企業(株主)もようは大衆だから結果や利益が優先になって頭おかしいロマンチストに大金ブッ込み難い >>103
海峡に名前ついてるし日本最北端にめっちゃカッコいい銅像も建ってるじゃん >>111
デブのロケットは本当に残念だな
宇宙時代が来ないのか来るにしていつになるかは別として物資や人間の打ち上げを自前で出来るって相当なアドバンテージだからな
確立出来れば輸出も出来る
他国の企業を使うとその時点でふっかけられるからな
>>71
打首はあんまりだ
伊能も草葉の陰で泣いてそう >>103
教科書には名前があるし聞けばああとみんな思い出すくらいだから十分扱われてると思うぞ
日本史なんかそんな人いたっけみたいなのが多いんだから でもそこって古代ギリシャが2000年前に通過した場所なんだよね すげえエピソード満載なのに大河やらドラマにならない謎 こいつが作ったっていわれてる地図は宇宙人が投影したやつを写しただけだから 天明の大飢饉が起きたときも私財を投げ売って一人の餓死者も出さなかった名士の鑑 明治36年(1903年)、国定教科書の制度が始まると、忠敬はさっそく国語の教科書に採用された。教科書の内容は佐野の講演をもとに書かれており、忠敬の生涯のほか、測量方法についても簡単に述べられている[405]。教科書に載ったことで忠敬の名はさらに広まった。地元の佐原で忠敬を偉人と称えるようになったのもこの頃からである[405]。
明治43年(1910年)に国定教科書の改訂がなされると、忠敬は国語の教科書から外され、代わりに修身の教科書に載るようになった。そして内容も変化した。修身教科書では、国語教科書で見られたような忠敬の測量における業績についてはほとんど書かれず、「勤勉」「迷信を避けよ」「師を敬へ」といった表題のもと、忠敬が家業に懸命に取り組んだこと、江戸に出てからは雨や風の中で測量に従事し地図を作ったことなどが記され、最後に「精神一到何事カ成ラザラン」などといった格言で締めるという、精神的な面が強調されるようになった[406][407]。こうした内容の教科書は第二次世界大戦の終戦まで使われた[408]。 新しい原理原則発見したわけじゃないのに
何がすごいかまったくわからんわ
世界は甘くないわ 師匠の高橋至時は大阪の民間天文学者
幕府の世襲天文方が能力喪失したので改暦できず江戸に呼ばれた
ケプラーの楕円軌道を理解してたトップクラスの天文学者 >>131
自力で調べてあるいたことは凄いことだけど、ただただその繰り返しでドラマの題材にするにはストーリー性に乏しいからじゃね? ああいうのが好きな人にとっては伊能忠敬がすごくうらやましいらしいな
伊能忠敬よりも先に生まれて地図を制作したかったって こいつはマジで偉人だからな
実業家としても歴史の片隅には残るレベルの大成功して
金に物言わせて趣味突き詰めたら義務教育で習うレベルの歴史的偉業
すごすぎる >>11
北九州のゼンリンの展示館行ったことあるよ 実際海岸線たどってみたら分かるけど崖とか山とかでほとんどまともに歩けないところばかりだよな
マジで測るの大変だぞ 知床半島の先端とかどうやって測量したんだろ
現代でも人が足を踏み入れるのは難しいのに >>11
俺の小学校の時の先生は伊能忠敬の直系で 伊能先生だったわ。
千葉県船橋市の公立小。 ドラマ化しろとか言ってる奴がいるが20年くらいまえに橋爪功主演でNHKでドラマ化したから
たしか新山千春が下女役で演技うまかった
加藤剛主演で映画化もされてる まとめ
検索してわかったけど
伊能忠敬の地図が世界と比較してすごかったかといえば
ヨーロッパからは200年程度遅れた頃に日本では
日本人が地図を作りましたみたいなものでしかないので
これ日本国内ですごいだけ
地球の大きさを図る話はギリシャ時代からあるものでしかなく
確定したのは
1740年の>>99ことで
東の果てではそれが伝わってなかったんだねとしか
でこれ修身の教科書で「精神一到何事カ成ラザラン」みたいに
使われていたやつだと
けつろん
東の果ての文明が遅れた国で
よくやったとは思うけど
偉人かといえばちがうんじゃね
気持ち悪いし 徒歩で目的達成した偉人という範疇では
玄奘三蔵やイブン・バットゥータのほうが格上
日本人という限定で有名なのは、他に思いつかないけど 実業家としても成功
趣味を堪能して後世に語り継がれる
これをだいぶ下位互換に
したのがタモリかな? 当時50代で死ぬとかざらだったのに
このおっさんのバイタリティは本当にすごいと思う >>12
俺はエロサイトの使い方、子供みたいな若者に謙虚に恥ずかしげなく教わったわい!!! >>38
九州が変な形だけど、あれは忠敬逝去後に完成させた部分らしいね。 江戸時代に甦ったプトレマイオスとか大航海時代の名も無き人々とか お前ら地図と測量の科学館にいけよ
めちゃ空いてて無料だから >>137
日記があるけど結構面白かった気がする
詳細はネットで! やっぱ金持ちは学問をすべきだよな
本人にとっては道楽でもさ >>116
東南アジアともバンバン交易すりゃ良かったのにな 宇宙人が持ってた奴を写したマンガを読んだぞ
何かの漫画 >>12
その学者の息子がシーボルトに地図渡してて草 間宮林蔵略してマミリンもいただろって先に書かれてたわ >>20
異能タダ高の地図って忌みても充分当てに出来る出来してるからなあ 実際はオナニーでたいしたことないのにもちあげすぎ
金と時間があれば誰でもできたわな 道民的には北海道の名付け親松浦武四郎ニシパを推薦したいところだな
大河でやっていいぞ >>13
完成前に死んでしまったからその人のそのものの伝記を大河で作るとなると超中途半端になっちゃうから
作りたくても作れないて昔NHKが言ってた フォッサマグナ見つけた外国人もやばいだろ
名前忘れたけど伊能忠敬の地図では不十分だった内陸の地図を一から歩き直して完成させたとかそんなん 江戸時代の寿命だと余命的に大きなことは諦める年齢だと思うけど
その辺感心するわ こういう人がガチの偉人だわな
大量殺人鬼でしかない戦国武将とかを偉人扱いするのもどうかと思うわ wiki見たけどこの人ガチの天才だわ
何やってもセンスのかたまり 天文測量じゃなくて数学やってたらオイラーとかガウスレベルになったかも
ちょっと才能もったいない ヒンモメンが歴史的偉人にすら嫉妬してて草
生きづらそう 今の県境もある程度伊能地図が元になってるからな影響力強いわ 困難暇で金あってそこそこ時間あってやる気あったら誰でもできるやつ
人めちゃくちゃ雇ってただけ 普段ジャップ連呼してるチョンモメンが自分のこと棚の上に上げて、昔の人間罵るの滑稽だよな
明らかに現代ジャップの中でも劣等な存在なのにさ 55歳は福山雅治、名倉潤、マルシア
福山雅治、名倉潤、マルシアが日本一周するようなもん どうやったらそんな正確な地図が出来るのかよくわからん >>187
昔の55はすでに隠居でいつ死んでもおかしくない年齢
今とは違う 活力が凄いね
ちょっと頭のネジ飛んでそうで
尊敬しちゃう 当時としては老人も老人だっただろうにな
先達に頭下げて技術学んで、偉業なしとげて
俺もそう言う爺さんになりたいもんだわ お前らひねくれすぎだろw普通にすげえじゃんw
どうやったらあんな正確な地図が作れるのかさっぱり見当もつかんわ >>189
昔の定年は55歳だしな
昭和ですら55で老後になってたのに江戸時代なんかもう死にかけ扱いだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています