>>40
筑駒のことも>>39の自叙伝に書いてる
筑駒の校風に合わなかったそう


 そんな感じですから、当然のように中学受験も受かりました。進学先は全国でも1,2を争う偏差値だった学校にしました。
(ちなみに、誇張ではなく本当です。まあ、それを言ったらどこの中学が特定されますが、別に良いです。)

 しかし、です。これが悲劇の始まりでした。とんでもない苦しみと挫折を味わうきっかけとなったのです。

 進学した学校は、東大への高い合格実績と自由な校風をうたい文句にしていました。
ほかにレベル的に合格可能だった学校は、非常に「堅い」イメージがあったので、マイペースな私にはあわないと思い、受験せず、
もっと偏差値の高いあの学校に進学したのですが、入ってすぐに違和感に気づきました。
というのも、あまり勉強をやる学校ではなく、かわりに学校行事に参加しないとすぐに文句を言ってくる学校でした。
せっかく勉強できると思って入ったのに。私の気持ちは裏切られました。

 こういうことならば、もう1校受かっていた御三家の1校に進学すべきだったかもしれない。
そちらでもうまくいったかはわかりませんが、少なくともあの中学よりはましだったかもしれません。

 しばらくして、精神的に参り始めて、また勉強したいのに学校行事を優先させろとうるさく言ってきたので、次第に疲れてきました。
そして、この学校も不登校になってきました。

 そういうことで、高校の1学期の終わりに学校をやめました。

 やめた理由には、前述の学校行事のほかにも「アスペルガー」であったことが影響していました。
どうやら当時の校長がアスペルガーをみきれないと弱腰になっていたという事情もあったのではないか、と親はいっていますが、真相ははっきりしていません。
この件を完全に暴露すると政治的な問題点すら浮上する可能性があるようです。だから、本書では深くは扱いません。まあ、ご想像にお任せします。
いや、本当は暴露した方が面白いのですが、はっきりしないので、述べないだけです。