https://www.tokyo-np.co.jp/article/319406

文化活動の再開 復興の道しるべ 能登地震への思い 宝生流宗家・宝生和英
元日の能登半島地震から3カ月がたった。能のシテ方五流の中でも、加賀藩主に保護された歴史を持つ宝生流は特に石川県とつながりが深い。宝生流宗家、宝生和英(かずふさ)(38)に、被災地との関わりや今の思いを聞いた
■特別な土地
 −いつごろから石川で宝生流が盛んに。
 「江戸時代中期、加賀藩の5代藩主、前田綱紀(つなのり)のころから。前田家はもともと金春(こんぱる)流だったようだが、5代将軍徳川綱吉が宝生流を好み、綱紀もそれにならい宝生流を学んだようだ」
 (以降代々の藩主が宝生流を手厚く保護し、領民にも謡を奨励。「謡が空から降ってくる」といわれる土地となった。その加賀宝生を継承、普及振興する金沢能楽会も100年以上の歴史を誇る)
 「宝生流にとって石川県は群を抜いて特別な土地。私は公演や能楽師の指導などで2カ月に1回は金沢に行っている。私自身、拠点は東京だが、元は金沢の分家の血筋」
 −能登半島とのつながりは。
 「木谷(きだに)哲也という輪島市出身の能楽師がいる。彼によると、輪島や七尾にも愛好者がいて、能登宝生会が七尾を中心に活動を続けている。また、床几(しょうぎ)(いす)や面箱といった漆塗りの道具の補修などで、輪島塗の職人とも関わりがある」
 −地震発生時の様子は。
 「ネットで能登半島の被害を知って言葉を失った。輪島に帰省していた哲也となかなか連絡がつかず、彼の実家は輪島朝市の火災現場のすぐ近くなので心配した。翌日『自分も家族も無事。ただ、町は壊滅状態』というLINEが届いた。他にも能楽師の親族が能登半島にいて、そちらの安否確認にはもっと時間がかかった」
■物理的支援こそ
 −能にはこの世に思いを残した人の霊が出てくる作品も多く、鎮魂の芸能とも呼ばれる。能は被災地の力になれると思うか。
 「いくら『鎮魂』といっても、現実の被害の前では芸能は無力。もともと習っている人が、謡で気持ちを落ち着けることはあると思うが、舞台を見せてどうこうより、物理的な支援を重視したい。1月から災害復興支援金を募集している」
 −支援金はどのようなことに使う予定か。
 「生活の復興が第一だが、文化的活動の再開は、地域復活の道しるべだと思う。一般インフラへの支援はさまざまな団体がやっているので、より伝統文化にフォーカスした支援をしていきたい。8月12日には金沢能楽会が石川県立能楽堂で『能登復興支援能』を開き、利益を全額寄付することになっている」