日本のスポーツ界で「体罰問題」が頻発するのはなぜか。桃山学院大学の大野哲也教授は「本来のスポーツとは『遊び』なのに、日本では『体育』として導入されてしまった。その結果、楽しむことよりも、礼儀を重んじ、努力と忍耐を重ねる規律・訓練に変化した。ここに根本的な原因があるのではないか」という――。

後発国としての近代化を強いられた明治政府はスポーツの普及を後押しし「体育」として学校教育に導入していった。心身を鍛え健康の増進に役立つからだ。それは「富国強兵」にもマッチしていた。だがこれを短期間で達成しなければならないという事情は、スポーツの核心である遊びの要素を排除していった。楽しんでいる場合ではなかったのだ。

スポーツは体育となって一般化していったが、そのプロセスで遊戯の要素は失われ、楽しむよりも、礼儀を重んじ、努力を重ね、忍耐に忍耐を重ねる規律・訓練(権力側にとって好都合な価値、思考、身体技法などを日々の訓練によって人びとに埋め込んでいく権力のあり方)に変化した。これが現在の体罰問題、しごきや根性一辺倒などの間違った指導方法、監督や先輩・後輩間の礼儀作法の問題、勝利至上主義などにつながっている。

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