保守層「(あれ…?これ自民のままだと俺らも能登の被災者みたいに見捨てられるんじゃね…?)」→結果 [314039747]
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むしろまだ自民に入れるのがこんだけいるんだからかなり終わってる 亀井家は元々自民党だからジジババには馴染
あとは血統 >>5
馴染みといっても国民新党立ち上げまでで20年以上も前だからなあ 亀井久興
家族・親族
始祖 - 亀井茲矩(尼子氏家臣、鹿野城主)
高祖父 - 岩倉具視(公家、政治家)、亀井茲監(津和野藩主) - 久留米藩主有馬頼徳二男
曽祖父 - 上杉茂憲(第13代米沢藩主、伯爵、沖縄県令) - 父方の祖母久の父
曽祖母 - 森寛子(岩倉具視の五女)
祖父 - 亀井茲常(伯爵) 有馬頼寧(伯爵、政治家)
父 - 亀井茲建(伯爵、東北開発株式会社総裁。華族赤化事件で検挙されたが、起訴留保となった。)
母 - 正子(有馬頼寧娘、加山雄三の母・小桜葉子のはとこ)
妻 - 陽子(横山正克の娘)
長女 - 亀井亜紀子(衆議院議員、元参議院議員)、他に二女あり >>5
亀井家の地元は津和野だし松江中心の1区とはかなり遠いんで言うほど馴染みでもない
まあ参院でも出てたから全く馴染みがないわけではないだろうが 共産支持層で自民候補に入れる人はどういう理由なの? >>3
DVクズ男と別れられないまんさんみたいな脳みそしてんだろうな >>14
親子で政治家ってのに拒否感あるんじゃないか? . 亀井家初代は因幡(いなば)国(のくに)鹿野城主「亀井茲矩(これのり)」
亀井家は鹿野城主(現在の鳥取県鹿野町)だった亀井茲矩(1557~1612)を初代とし、父(亀井久興(ひさおき))の兄、亀井茲基(これもと)は第16代当主です。
亀井茲矩は1557年、出雲(いずも)国(のくに)湯之庄(ゆのしょう)(現在の松江市玉湯町)に尼子(あまご)家臣であった湯(ゆの)永綱(ながつな)の息子、湯(ゆの)新十郎(しんじゅうろう)として誕生します。1566年、尼子氏の居城・月山富田城落城時に10歳、1569年、父の湯永綱が月山富田城奮回戦で討死した時は13歳でした。父の死後、新十郎は四国伊予(いよ)国(のくに)(現在の愛媛県)等を放浪し、やがて因幡国にて山中(やまなか)鹿介(しかのすけ)と巡り合います。
山中鹿介は尼子重臣・亀井秀綱(1566年討死)の長女(高松院)と婚姻し、次女(永寿院)を養女に迎えて保護していました。鹿介は新十郎を気に入り、1574年、永寿院との婚姻によって亀井家の名跡を継がせます。つまり山中鹿介と亀井新十郎(茲矩)は妻同士が姉妹という姻戚関係になります。 このように亀井茲矩の先代は秀綱、と史実としてわかっているのですが、現在の亀井家は亀井茲矩を初代として数えています。
なお、亀井静香氏の先祖と亀井茲矩が兄弟だと書かれたものがありますが、史実とは異なります。(上記の通り、亀井茲矩は湯新十郎として誕生しているので、亀井姓の兄がいたというのはあり得ない話です。)
亀井静香氏の先祖について、こちらの亀井家では把握しておりませんが、出身地の庄原が月山富田城から近いので、尼子家臣であったというのは事実なのだろうと思います。
実際、月山富田城(現在の島根県安来市広瀬町)周辺、広く出雲地方には尼子残党の子孫が脈々と生き残っており、「うちは尼子系」という会話が今でも成り立ちます。毛利に負けた側なのですが、尼子の結束の固さには驚かされます。 保守層は自民の代わりになるような受け皿じゃないと投票しないってことでしょ
旧民主党だって小沢と鳩山は元自民党だったんだし 尼子遺臣だから広島人の支配には抵抗するンだわ
まあ山陰なんて人の流入がアホみたいなレベルで少ないからな
割とほんとに遡ろうと思うと戦国どころかそれ以前まで余裕でわかったりするようだ ゾンビ企業を潰せー
ゾンビ国民を殺せー
ゾンビ自治体を潰せー
いつのまにか日本自体がゾンビ国になりました
大企業の利益のほとんどが補助金だらけです
中抜きやピンハネしていたゾンビ企業はなくなりました ないわ
知識無い奴が憎い。
稚魚もはやどうでも?作れるのが当たり前やろ
内閣支持率は下半期だよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています