宮沢博行前防衛副大臣の実母が告白…パパ活不倫で辞職した「息子への思い」

当初、母親は「何を聞かれてもノーコメント」と頑なだったが、質問を重ねていくと、何かが吹っ切れたのか、現在の宮沢氏の様子や息子への素直な思いについて、こう明かした。

――息子さんから連絡はありましたか?

「まだ直接話はできていません。私が一方的にメールを送っています。記事を読みましたが、バカだなと思いました。即座に『バカ野郎!』とメールすると、本人からは『すみません』と返事がきました」

公式HPによれば、宮沢氏は静岡県出身。眼下に天竜川を見下ろす10軒ほどの小さな集落で生まれ育った。父は土木の作業員、母は農協の職員。泥と汗にまみれて帰ってくる父から「働く人の姿はかくあるもの」と学び、母からは「楽をして稼ぐ多くのお金より、苦労して稼いだ少しのお金のほうがずっと値打ちがあるのだよ」と伝えられてきたという。

そんな少年が政治家を志したのは中学3年の夏。晩酌中の父から「ことが起こってから国を守るのではなく、そのこと自体を防ぐ人間になれ」と言われたことがきっかけで猛勉強の末、地元の公立高校から東京大学法学部に進学した。

「神童? そんなものではないです。普通の子どもでした。本人が何と言うかわかりませんが、私から言わせれば、あれ(東大合格)はまぐれです。

そもそも、うちは教育熱心ではなかった。息子が生まれ育った家は私の実家ですが、私の父も婿だった旦那も土木関係の仕事をしていました。

政治家を出すような家ではありません。私自身も勉強が大嫌いでしたし、あの子の妹も勉強が好きではなかった。言ってみれば、息子は突然変異です」

世襲が蔓延する政界にあって、宮沢氏の歩みは異質だ。東大法学部出身だが、就職氷河期に重なり、就職活動に失敗。その後はファミレスのアルバイトや塾講師、派遣社員などを転々とした。しかし2003年、意を決して磐田市議会議員選挙に立候補。市議を三期務め、自民党が政権を奪還した2012年の衆院選で国政進出を果たした。

「就職がうまくいかなかったのは、本人がダメだったからでしょう。本音を言えば、私は地元に戻って県庁に勤めてほしかった。それが政治の道に進むなんて…。ただ、亡くなった旦那は喜んでいました。旦那は政治が好きで、息子ともよく政治談議をしていました。息子が初めて市議選に出たときも、一生懸命選挙活動を手伝っていましたね」


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