安永の御所騒動
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江戸時代の朝廷財政は幕府によって保護された御料からの収入が主体で、不足分は幕府からの取替金と呼ばれる
無利子の融資などによる財政支援によって維持されていた
言うなれば、この時代の朝廷財政は幕府財政に強く規定される性質を有していた

18世紀に入ると幕府財政も次第に逼迫するようになり、明和8年(1771年)4月に幕府が諸機関に対して倹約を指示すると
所司代も取替金の支出には慎重になるとともに、勘定所も倹約への協力を求めるために朝廷財政の支出調査に乗り出すようになった
ところが、その過程で架空購入などの実態のない財政支出が行われて、御料からの物成(貢租)や幕府からの取替金の一部に
口向役人による横領の疑惑が浮上した
その結果、役人たちは帳簿の改竄や横領だけではなく、商人たちからの収賄や幕府が朝廷財政に干渉することへの批判や
京都所司代や禁裏附を軽侮する発言をしていた事実などが明るみに出た



田村肥後守ら賄頭・勘使4名を死罪、勘使・仙洞取次ら5名の遠島を始めとする侍身分(六位以上)の者66人、
それ以下の役人(下部)88名の両方合わせて154名が処罰の対象とされ、それ以外に御用達の商人も処罰され、
さらに世襲である京都代官の小堀邦直も謹慎処分とされた



いまの皇室財産を調べたら同じような不正がいくつも出てくるだろうな