デカルト的思想では
「我思う、ゆえに我あり」
となる。
しかし虫となったザムザは「我あり」と思っているが、家族の誰もそれをザムザと思っていない。言葉による意思疎通もできない。
いかに「我あり」と考えようと、他社から認められなければ、その存在は無きに等しいものとなる。
母親の「無償の愛」も、ここでは消滅している。