大川功は1999年頃にXbox開発の話を聞きつけ、
ドリームキャストのソフトウェア開発に携わった
マイクロソフト本社のビル・ゲイツ社長(当時)相手に、中裕司や鈴木裕といった
セガのスタークリエイターや西和彦を引き連れて何度も直談判し、
「セガのタイトル資産を提供するからドリームキャストの互換性をXboxで実現させてくれ」と
ドリームキャストの道筋を作ろうとした。

だが、ドリームキャストはインターネット環境を有するのに対し、
Xboxはインターネット環境を考えておらず結局破談となった。