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1918年の崩壊に続く分裂は、独逸を國内外の諸問題に対して無能にしてしまった。それが競争相手同士の情熱の衝突を非難しただけでなく、一時的に抑制した理由だ。

私はあらゆる場所で苛烈で妥協しないロシアのボルシェヴィズムに対する敵意を英國の独逸に対する心からのより友好的な理解の願いと共に、英國人への真の尊敬と一対で見た。独逸人は、きっぱりと英國とは二度と争わないことを決め、また、フランスに対しても復讐心が無かった。彼らは、同時にアルザス=ロレーヌの復帰の望みも忘れていた。

しかし、ロシアのボルシェヴィズムに対しては、憎しみと恐れを抱いており、それは不幸にも激しさを増していた。それは、彼らの國際政策と軍事政策の牽引力を成していた。彼らの個人的或いは公的な話はその話で持ちきりだった。どこに行こうとも、「ボルシェヴィズム」と言う言葉を聞くのにそんなに時間は必要なかった、そしてそれは、何度も何度も飽きるほど繰り返された。

彼らの目は、恰も怒りの日が来ることを熱心に見ている様に、東方に釘付けであった。彼らはそれに対して独逸の徹底ぶりを以って備えていた。

この恐怖心は、むき出しだった。上層も下層もみんなあらゆる懸念の理由があると納得していた。彼らは、巨大な陸軍に戦慄していた。その陸軍は最近になってロシアで築かれたものだった。

非常に暴力的な虐待の反独逸宣伝工作がロシアの政府系新聞で刷られ、また、公式のモスクワラジオ放送で宣伝され、それは、独逸に於いてソヴィエト政府が嫌がらせ(戦闘行為)を考えているのではないか、と言う疑いを独逸で蘇らせた。」
-デビッド・ロイド・ジョージ 1936年9月17日付デイリーエキスプレス