【緊急】3大そろそろ「誤用警察」が敗北しそうな言葉「御用達」「すべからく」「敷居」「確信犯」「役不足」あたりか? [294268809]
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「超 敷居低い系の展覧会です」ワークショップで制作したアート作品約400点
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rsk/1572419 そろそろ「誤用」が「正」となる瞬間が来るか??
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最近ママチャリを「子供を乗せるための自転車」
という意味で使ってる奴をちょくちょく見かけるが
もともとは「おばさんの乗る自転車」という意味で使われていた
(用例)
「こないだ4組の佐藤がママチャリ乗って塾来てるの見たわw」
誤用ではないけど「させていただく」は
『自分が一方的に利益を得る』場合か『相手の許可が必要』なときだけ使ってくれ
そのほかは「いたします」でいいだろ
>>736 文学作品や論文にもいちいち数えるのが面倒なくらい出てくるから、なるべく古くてわかりやすい例を一つ挙げてやったんだぞ
辞書にはいちいち活用まで全て載せないし、公文書は文体や語彙選択にある程度基準があるから用例が無くてもおかしくないね
お前は何か調べたのか?
親しいという意味でない「近しい」は公文書にも出てくるな
文部科学省と外務省のサイトをてきとうに調べただけだけど
何を根拠に「誤用」と言っていたのか知りたいもんだ
>>748 以前誤用を指摘したら罵倒されたことがあったよ「お前みたいな奴がいるから〜」みたいな感じで嫌儲って怖い
全て誤用の用語だけで書かれた小説って
全盛期の筒井康隆がやりそうだわ
>>750 すべからくもそうだけどちゃんとした文章にも出てきてビビるよな
すべからくを誤用して誤用じゃないって強弁して大論争くりひろげてた無名の劇作家がいたな
まず明治36年「高等小学綴方学びの友」の一文
>近しい内に御目にかゝりたい(未來)
次に日本語学者の杉浦克己「『古語拾遺校本』をめぐって」
ここでは「近い」と「近しい」をあえて使い分けているようにも見える
>四宮社版に比較的近いとも思われるが完全に一致はしない。また伊勢本系統の諸伝本についても同様に近しいと思われるものはないようである
そしてやはり日本語学者の大野晋「角川類語新辞典」の序文における「近しい」には、それらがなんらかの関係性を意味してるようにも窺える
> 意味の上から観て、単語のあり方はそれと同じなのである。個々の単語は独立した存在ではあるが、その近隣の、類縁性の濃い単語と相互に緊張関係を保ち、時には重なり合う領域さえ持ち、互いにささえ合って生きて働く。例をあげてみれば、「ほのか」という語は自己の近隣に「かすか」「うすく」「ぼっと」などを持つ。「ほのか」はそれらと近しい間柄にあり、時には重なるようにも見える。しかし、つきつめて行くとそれらは互いに自己の意味領域を確かに持つ存在である。われわれは無自覚的にそれを知り、それを文脈の中で使い分ける。
古語の「近し」からきており、元は以下の意味を持ってたようだ
>ちかし【近し】
>1. (時間的・空間的に)近い。
>2. 親しい。
>3. 縁が深い。
>4. 近親である。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%81%97 >ちか・し 【近し】
>@(距離的・時間的に)近い。
>A(心理的に)近い。親しい。身近だ。手近だ。
>B(関係が)近い。近親である。似ている。
https://kobun.weblio.jp/content/%E8%BF%91%E3%81%97 そして「親しい」は「ちかしい」とも読むようで、この時点で「近しい」とのなんらかの関係が見て取れる
>親しい
>1. したしい
>2. ちかしい
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%AA%E3%81%97%E3%81%84 >近しい/親しい(ちかしい)
>[形][文]ちか・し[シク]人と人とが心理的に近い関係にあるさま。したしい。親密である。「—・くつきあう」「—・い間柄」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%BF%91%E3%81%97%E3%81%84/ ならば、いったいどういうことか
おそらく明治時代、言文一致運動の過程にあって、「近し」->「近しい」の時期があったものと思われる
ただ、上で議論されてるように、「近しい」を「近い」の意味で用いることには違和感のある人も少なくない
したがって、元々は両者の意味を兼ね備えていた「近し」が、それぞれに分岐したものではと愚考する
以上を踏まえると、
>>732 の用例は上述の運動途中、言わばある種の混乱期における産物なのではあるまいか
現に夏目漱石や芥川龍之介など明治時代以降の文豪においても、その文章を読めば現在、我々が使っているものとはギャップがあることに気付くだろう
区分で言えば現代文だが、その実際は古文のような表現がなされてることも少なくはない
長くなったが、自分が出した結論としては「近しい」を単に「近い」と同じように使用するのは混乱の元
現代では両者は区別して使うべし
>>746 なんでも「○○させていただく」って言ってると、教養のなさを感じちゃうね。
「すべからく」は「べし」がない場合すべて誤用ってこと?
広辞苑見たら「多くの場合、下のべしと呼応する」とあるので「べし」がないことも少ないがあるってこと?
東大の先生が書いた本でも「すべからく〇〇した」とかあったんで「すべからく」を「当然」くらいで使うこともあるのではと思えるが
>>770 まずそもそもその観点に辿り着く前に
「すべからく」
を
「全て」の「すべ」と混同して同じ使い方をする誤用が多発してる。
例えば
「全て嫌儲が悪い」と言うニュアンスで
「すべからく嫌儲が悪い」という誤用が多発している
日本語の漢語って自動多動が曖昧なものが多くて例えば
「車を移動する」「車を移動させる」
「仕事を開始する」「仕事を開始させる」
が同じように使われるし
「納車する」「課金する」の誤用はそういう根本的なところに要因があるのかもしれない
>>744 役不足の誤用はほとんど少年ジャンプが原因
多分誤用しまくってる編集者がいるんだろう
>>770 なんらかの行為に対する義務、命令、当為を表す際に用いる
逆に禁止をする「すべからず」に対応すると考えればいい
風俗は社会の教科書にも出てきて、先生が教科書読み進めてる時に「あっちの風俗じゃないですよw」って笑いとってたの覚えてるわ
ひろゆきさんが座り込みのルールが辞書に載ってるって言い出したのは笑った
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