海外「侍が銃を使うのはおかしい」 [261230815]
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>>262 デマ止めような
ハンドキャノンは中国が初出
>>307 たたら場を狙う地侍は浅野公方とやらでは無かったか
創作された人物
もののけの後装式はカードリッジの中に火打ち石も入っててカードリッジを横から叩いて衝撃を与えると着火する仕組みだったはず
だから本当にギリギリのあり得ることをついてる
>>95 フォースでビーム曲げるくらいはして欲しいところだな。
スパロボの念動力者たちは普通に曲げるからな。
ゲーム内だとまっすぐ飛んでるけど、あれ設定ではT-LINK使ってビーム兵器や実弾兵器の弾道をかなり自由に制御できるっていう設定になってるんだわ。
射線見切って避けても当たるのよ。
>>311 地侍とアサノ公方は別の存在(家来の可能性はあるが)
アサノ公方の紋は石持紋(日の丸)で旗指し物は七ツ団子
>>312 >>170で上げてくれた動画見る限りはフリントロック式では無い
最後に楊枝的なものを外して容器に入れてるのが判る
雑魚が持ってる石火矢も竹串的なもので着火してる
火縄だと火皿作らなきゃいけないけどカートリッジ式だからそれが出来ないので
この着火方式にしたんだと思う
よく考えられてる
歴史的に見ると刀しか使ってない時代って限られるよね
そもそも中国の支配層だったモンゴル騎馬隊が
ヨーロッパで銃を使っていたって記録がないよね。
外人は戦国時代を知らないんだな
弓はもっと昔から使っていたぞ
>>319 鎌倉時代とかでも騎乗して弓撃ったりしていたし
武士は割と何でも使うからな
むしろ槍がメインウェポンで刀はサブウェポンぐらいの扱いだし
戦国時代後期の銃の普及スピードとか
幕末の西洋銃や大砲の普及スピード見ると
今の日本人よりも全然有能だよなぁって思う
>>321 馬に乗ってるのは上級武士
鉄砲が画期的なのは雑兵が上級武士を簡単に殺せること
> 現存する最古の銅手銃として洪武5年(1372年)の銘が入ったものが存在する。
ってのがあって、14世紀明朝で鉄砲の原型ができたのは確からしいのだけど
それの類似物がヨーロッパ方面でも発見されていて、最初期の鉄砲論争のネタになっているらしい記述を見たのだけど、ブラウザの履歴に残っていなくて再確認不可能
系統としては、モンゴルが欧州まで影響力を伸ばしていた時期に持ち込んだ異物だという解釈だった
中国語(繁体)版ウィキペディアを見ると、もっと魅力的な説が書かれているね
https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E6%89%8B%E9%93%B3 ・手銃もしくは単眼銃と呼ばれる火器が元朝から明朝初期に使われていた
- 元朝の銃: 「西暦1983年に浙江省余杭県(現在の余杭市)で発見され、現在は余杭市博物館に収蔵されています。長さ32.6センチ、口径2.8センチ、铳の体に銘文がある。」
- 明朝の銃: 「西暦1964年に河北省赤城県で発見され、現在河北省文物研究所に保管されており、長さは44.2センチ、口径は2.2センチで、铳の体に銘文があり、铳の管の中には火薬と鉄砂が残っている。」
・中東地域の銃: 「中東に出現し、マダファ(madfa)と呼ばれる手铳は実物が残っていないが、文献記録『Schems Eddin Mohamened』に記録されている。この本は西暦1703年にロシアのピョートル大帝によって入手され、現在サンクトペテルブルクの図書館に収蔵されている。この文献は少なくとも西暦1300年に記録された。」
・ヨーロッパの銃: 「ヨーロッパでは、手持ち大砲または手砲(英語:Hand cannon)と呼ばれる同じ武器が登場し、モンゴル人との西征時に伝わったと考える人もいます。最古の手铳は14世紀の坦能堡手铳で、手砲は後の城攻防戦で鉤爪を装着した防御用バージョンは鉤爪手铳(ドイツ語:Hakenbüchsen)と呼ばれ、十五世紀中葉には長い柄のグリップを肩掛けブラケットに置き換えて肩掛け手铳に進化し、十五世紀末に吊る肩手铳はさらに火縄引き機を取り付けて火縄銃になった。」
- 1380年製の欧州銃器(ハンドキャノン)
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:HandBombardWesternEurope1380.jpg - 1390年製の欧州銃器(ハンドキャノン)
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:HandBombardWesternEurope1390-1400.jpg 現物比較で言うと、明朝1372年の銅手銃が最古だけど
中国史観だと13世紀元朝の銃器が、中東/欧州に伝わって
14世紀にはハンドキャノン等が作られ
15〜16世紀に発展した、と考えているらしい
まぁ色々と先進的な武器を持ってたにしても宋は女真族に負けたよね。
リンク先は直接リンク画像ではなくて画像説明ページなのでクリックしてWebページ表示
日本も戦国時代には鉄砲が普及してたからねw
>>329 Wikipediaじゃなくて
百度百科見たほうがいいよ
中国関係は
世界にハンドキャノンが出回ったのはこの時期だから
モンゴル兵が不器用に扱ってたそれを各国が鹵獲したのが始まりと思われ。
https://i.imgur.com/yJiqkEm.jpeg 銃とか大砲が最終的に勝敗決めたんだが
関ヶ原はオランダとスペインの最新式大砲を使った代理戦争言われてた
>>333 台湾史観の方が妙なバイアスが掛かっていないと考えて選択した
百度の記事がいいと思うなら自分で紹介すればいい
他人に指図したがるのは嫌儲地雷婆の特徴
>>337 敢えてマイナーで、しょぼい方を選びたい
というなら、お好きにどうぞ
正直言うと百度にも維基にも記事があってどちらを選ぶか最初は迷ったのだけど
遺物を除いて現存最古とされる1372年の銃で検索すると百度の記事は出てこないので、おそらく日本や欧州とは緩い合意の取れていない独自史観の話が書かれている可能性が高いのでスルーした
東ユーラシアで発明されたかもってだけで
その頃の東ユーラシアは所有者がコロコロ変わっていたわけだから
特定の民族の手柄にするのは意味がない。
火矢を持っていたはずの漢民族はツングースに負け
そのツングースはモンゴル帝国に負ける。
この動乱の中で手持ち大砲が発明された。
>>338 お前は他人に文句を言うだけで何もしない気狂いだな
そんなに百度が好きなら自分で記事紹介をすればいい
1372年の現存最古と推定される銃の記述が無い百科事典記事は、
日欧の歴史観と激しく異なる可能性が高いから、最初の選択にはしなかった、そんだけの話だね
日欧で緩く合意の取れている内容を無視した記事は、客観的検証をしたくとも難しいから、紹介したい人が要約を書けば充分
そんな簡単な事もできずに他人に文句を言うのは知恵遅れでしか無いね
>>318 雷管式が出来るまで馬に乗って弓のほうが結局手数にしろ取り回しにしろ強いしなあ
モンゴル人は熟練の馬と弓の達人ばかりのチート民族(当時基準)だったから一時期無双した
とりあえずバカ婆の絡み癖はNG
書き込みショボい癖に横柄な絡みをする超有名な精神異常者そっくりだね
しかしなんのスレやねんなこれは
元は
A「サムライのゲームで銃が出てくると雰囲気壊れるから止めろ」
B「ほい(もののけ姫の動画)」
ってだけのやり取りなのに
バカ婆のヒステリーは誰も読まないね
百度の記事の要約くらい10分もあればできるだろうに
それができない無能者
(´-`).。oO(そもそも誰でも改変できるWiki系百科事典なんて、議論の下調べの出発点にしかならない事をバカは理解していないのが笑いどころ)
嫌儲弱婆の百度記事紹介マダァ?おちんちんが風邪ひいちゃうょぉ(チン☆チン⭐︎
>>344 五毛が銃の起源でホルりだしてこうなった。
戦国時代の銃の登場で注目すべきは雰囲気の問題じゃなくて
武士が百姓に種子島でレイプされる動くガンプラになった部分。
嫌儲弱婆の百度記事紹介マダなのぉ?お膣がインフルエンザになっちゃう(ワク☆ワク⭐︎
>>351 今時こんな古臭いノリを
嫌儲でみるの久しぶり
微笑ましいな
伊達家では中世ヨーロッパの竜騎兵よろしく短筒の銃持った鉄砲騎馬までいたし
嫌儲弱婆が完全に死んだ様子なので簡単にメモっておくと
百度の手铳関連記事(検索結果なのかな?)は3つ
・一つ目は中国ホルホル記事に近現代のメーカーを追加したど素人記事
・2つ目は中国ホルホル記事に陸のシルクロード/海のシルクロード経由の伝播の可能性を短い文で追加した程度のホルホル記事
・3つ目が火薬武器の起源を宋代(960〜1279)まで遡って色々書いてあるんだけど、
百度は検証可能性を理解していない野蛮人の百科らしくてインラインリファレンスゼロ件の代物
百度は検証可能性に関する記述水準がイマイチな上に、世界に広がる視点が欠落していて、ウィキペディアと同列にすら語れない三流だね
火薬武器に関しては7世紀まで遡れるとする説があるから
宋代までしか言及できない中国記事を見るに
7世紀説は割と不確かで中国では広く認識されていない話なのかな、っと推測
とにかくリファレンスがまともについていないから、中国で出版されたいい加減なホルホル書籍の抜書きにしかならないんだろうね
百度の民度低過ぎワロタ
>>337 何だ湾畜工作員か𐤔𐤔𐤔
ネット工作に400億円も税金使ってるアベの類いだよな今の台湾のアベ
>>330 火薬にしても製紙にしても負けて技術流出させてきた立ち位置の国だろ
>>355 野党党首を冤罪で拘束して選挙出れ無い様にしてんだよな湾畜独裁政府𐤔𐤔𐤔
>>355 無いよ
抑々火薬の初出が中国の煉丹術の書だから
嫌儲は裏取りもせずに妄想を主張しては
見事に虚言とバレる知的障害の理系落ちこぼれ教員が張り付いていて、エンタメでしか無いね
まともな話は皆無で妄想ばかり書いて、
詳細を書き始めると発狂して誤魔化す知的障害者の板
>>24 そう、最終的にペリーがきて軍艦に積んでる大砲が飛距離やばすぎてなんもできないから不平等条約結ばされたけど。
>>323 非課税自由市場を開ける柔軟な発想を出せる日本人が現れたのもその時代だし、近代の独裁者のように政治をトップダウンで行えた事も強みだろうね
革新的な領主が頭にいれば、その地域で舶来武器や技術がまず広がる(吉利支丹の弊害や奴隷貿易の問題は起こったけど)
>>128 日本に武器を作らせた方が経済回復しそう
>>170 それはエボシと部下が独自に考案したもので
アニオリ設定じゃん
稲富流鉄砲秘伝書とか残ってるし由緒正しいお侍様の戦いなのに
ちょうど明治維新付近で短筒が量産されるような時代になってきたんだよね
侍の時代は終わったけど、まだまだ刀は武器として有用で警官も帯刀してたし
銃の時代となった西南戦争で斬りこんできた西郷軍相手に渡り合ったのは抜刀隊
百度の手銃関連記事3つ目で宋代を出発点にしているのは
7世紀登場と考えられる火薬兵器が
いわゆる鉄砲への進化を始めた出発点が宋代あたりにある
という認識なのかもね
興味ある人は「手铳 - 百度」で検索して出てくる一覧の3番目の記事(宋代から始まる詳しい記事)を参照、っと
とにかく視点(中華思想)や情報提示や百科記述の方法が違い過ぎて
重要な記述や、着目すべき相違点がわかりにくいように感じるのは、自分が門外漢だからというのが大きいけど
書いてる方もどの程度の方なのかさっぱり見当がつかない
って意味では火薬兵器はモンゴル系の十八番っぽいな
硝石の採掘場所や、尿からの製造技術を持ってたんだろうか
エルフがちょんまげ結わえてビーム光線放つアニメなら文句言って良いと思う
>>1 こんな銃が有ったとしても射出時の反動を受ける持ち方してないから説得力皆無だな
火縄銃は最終的には輸出してたからな
ソースへうげもの
さすがにサムライソードとニンジャスターだけで戦うのは無理とわかるだろう
戦国時代に火縄銃が活躍したのは知ってるけど
江戸時代であまり重火器出てこないよね
>>389 火薬の生産量とかは戦国時代から変わってなかったらしいが用途の大半は農村でイノシシ追い払うのにとかなので重火器の進化は当然止まってる
坂本龍馬が卑怯にも公務中の官吏を射殺したりするから
同僚の恨みを買って暗殺された
>>389 日本の地形だと野戦で大砲使える場所あんま無いし
城攻めも山城だと効果も薄くて配置も難しいから
戦国時代も大砲普及して無いしな
>>170 まずもののけがいたってソースくれよ
俺たちの世界ともののけ姫の世界が同じ世界だってするなら
>>389 家康が買ったカルバリン砲4門とセーカー砲1門の
合計5門に1400両を払っている
均等に割れば280両ほど
ただし外貨とかなく銀支払いになるので
1両=60匁(銀の通貨単位)として8万4000匁(280両分)
当時日本の銀の年間の産出量が10トン
1匁が3.75g
当時の武器は個人装備だから
1門であろうと銀315kgなんか家康くらいしか出せない
種子島銃が当初2丁で銀10匁(37.5g 10匁 だいたい1億円)したのが
そのうち日本で製造できるようになって
1/150くらいになって(だいたい60万円)普及したのとは
技術的な壁の高さが違うから
8万4000匁(280両分)は
8万4000匁(1400両分)の間違い
1門であろうと銀315kgなんか家康くらいしか出せない は
銀315kgなんか家康くらいしか出せない の間違い
日本史にはあんま詳しくないが、明の時代には火器あったよね
この頃の火器は槍状になってて、この名残で中国語で”槍”はライフルを意味する語源になったって話
そんで火器以外の武器は冷器と呼ぶ
>>397 銀280両は10.5kgな当たり前だけど
算数苦手か?
>>400 フランキ製の火縄銃は日本製やルーム製より性能悪かっただけ
その手の手銃は嘉靖帝の時代に更新されて
朝鮮出兵当時の明軍は使って無い
>>397 技術にわ種類があって日本は鍛造は得意で鋳造はかなり劣後してた
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