フェミさん「母がJKの頃、吉原に売られていく同級生がいて恐怖だった」 [424896289]
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貝柱茜@mayuri20230629
母が女子高生の頃はまだギリギリ吉原に売られていく同級生がいたそうで、それを思い出して語る母の顔というのが「恐怖」以外の何物でもなく、
「家が貧しかったらわたしも売られていた」と。ちょうど「臓器売買から運良く逃れた」みたいな顔だった。
https://www.nhk.jp/p/berabou/ts/42QY57MX24/blog/bl/pyRxwlZnDK/bp/paLNOLe8o6/
>>418 どっちにしろ本人の自由にはならない金や
>>411 1957年赤線廃止間際の話だから、
1948新制高校よりずっと後だろはい論破、
あー頭悪すぎ
戦前からある娼妓取締法ですでに18歳未満は公的に娼婦になれないし
売防法が56年に成立
それ以降「高校生が吉原に売られてゆく」なんて2重にお縄でおおっぴらにやれません
その時期に家が貧しい=赤線に売られる図式が一般的に成立するのは到底無理でございます
60近く(?)にもなってSNSで嘘松とかさぁ
学校に行ける同級生なんてセレブが遊郭に落ちるわけないだろ
借金で首が回らない最下層の百姓が娘を売るんだよ
じゃあ
日本は戦争に負けてよかった、アメリカさんありがとう
となるね
しょうもない奴かと思ってX見に行ったら他に結構良い事言ってるわ
戦前の話になるけど、こいつ還暦過ぎているんじゃないか
>>125 玉音放送の最中に鞠あそびとかあり得るんか
>>1 >母が女子高生の頃はまだギリギリ吉原に売られていく同級生
終戦直後、
母は富裕層だったので高校生。
小学校の時同級生だった子は貧困層だったので売られた
じゃね?
戦争のちょっと前~昭和30年代に年頃で農村だったらあり得るかもしれん
平成でもやってたよ
バブルからの名残りというかバブルの頃は特に土地転がしが多くてヤクザ暴力団同和の活動が活発で政治屋も都議も警察も全員安倍晋三状態
先代は同和団体で転がした土地に開業しないホテル建ててそこに女住まわせて賭場作って接待してたよ
>>125 >結婚祝いに兄から貰った洗濯機にアパートの住人たちが列を作り
こんなの創作出来ない。たぶん全部ホントでしょ
>>125 >浅草の喫茶アンヂェラスで父とデートの「自由恋愛」
この時、同級生は浅草のとなり町の吉原で客を取ってると。
>>3 買春禁止が69年前だから
当時16歳の娘は生きてるぞ
アメリカの侵略から逃れるために戦争した。
その戦費を国民から絞り取った結果、貧農が発生した。
とも言えるけど
>>422 高校3年生なら誕生日に18歳になるだろ
18歳になるまでは見習い修行じゃね
今でもホストの売掛トラップから身売りコースは多くあるやん
嫌儲おばさんは何で赤線の歴史も知らずに
ホスト業界にだけ詳しくなったん?
暇絡みでColaboの事業内容を見てわかったつもり?
かつてのヒモ業や女衒業界が、女性向けキャバクラとしてのホスト商売に一部移行したのが現状だろ
>>431 俺の父親は学校サボって裏山で寝てて
山からおりたら戦争に負けたって大人が騒いでた
って言ってたな
>>286 中学生からソープにいた神崎ねーちんを忘れるな
日本てヤバイ国だよな
人身売買あったのに無かったことにする
平気で歴史を作り変える
恐ろしいわ
うちのババアがトルコがどうのって話してたな
今考えるとソープの事なんだろうけど
>>37 本人の借金ならまだしも未成年の娘をソープに売ることはない
>>169 そうだよ
生活苦しい時に子供を売り飛ばす
もちろん、あとで生活が楽になれば売った子供の買い戻しもできた
>>170 それが自慢話になる時代だったってのも含めて凄い世界だよな
だからどうしたとしか言いようが無いんだがw
「昔はこんな事あったんだよ」「ヘー」
で終わりじゃんw
アホのツイフェミはともかくここ5年ぐらいでも
団地に住んでるシンママが男に媚びるために中田氏させてできた小学生の娘を売るなんてのもある
あった
>>1 赤線廃止が1958年だから80代の人ならギリギリか
東北地方ローカルだけどNHKで秋田の歓楽街で芸者復活させるドキュメンタリーやってたけど
秋田の元芸者の80歳の婆さんは置屋が買ってくれなかったら海外に売られてたって言ってたな
最近ももちろん非合法だけど半玉が性的サービスさせられたっていう祇園の芸妓の告白もあったな
自分の娘を使って金を稼ごうと考える鬼畜親は昔も今もいるんじゃないかな
ただ今は社会や法がそれを許さないし福祉や支援も昔に比べればある
それでも事件になって捕まる親が今でもたまに報道されるよね
戦後しばらくしてからだって農家は農繁期に子供を小学校休ませて農作業させるのなんてよくあった
明治の初め頃の話ではあるけれど「ねえやは15で嫁にゆきお里の便りも絶え果てた」の解釈は10歳そこそこで子守として雇われた少女が子守していた子からねえやと呼ばれて満14歳くらいで嫁に行きもう手紙も来なくなったということだとか
>>465 いや、赤とんぼの歌詞は↓
https://www.coco-h.com/blog/kenjiro/346.html#:~:text=%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%80%81%E3%80%8C%E3%81%8A%E9%87%8C%E3%81%AE%E4%BE%BF%E3%82%8A,%E5%A7%90%E3%82%84%E3%81%8C%E5%AB%81%E3%81%AB
>>467 全然定説と違う
wikipedia
「姐や」は自分の姉ではなく、この家で子守奉公していた女中のことである。「お里のたより」は、女中の故郷からこの家に送られてくる便り、または、故郷に帰った女中からの便りと解釈されるが、女中を介して実母から届く便りなどといった説もある[7]。
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