
江戸時代(1603~1868年)に入り美人の基準が大きく変わってくる。初期には写真は出てこないが以前のような長者(貴族や武家)が依頼して描いた美人画ではなく,一般大衆が望んだ美人画を浮世絵絵師が描きだした。
それは歌舞伎俳優や町の噂の娘がモデルの対象となり顔だけではなく身体全体の線や流行の着物の柄を含めた美人画となった。浮世絵に代表されるような,柳腰,うりざね顔,富士額,すっと通った鼻筋,おちょぼ口,といったのが江戸美人の条件となった。この時代から鼻筋が通ったという言葉が美人の条件に入ってきた。
(中略)
果たして本当に平安,鎌倉,室町,江戸の人々が,しもぶくれで一重の畿内人的な扁平顔が美人顔であったのかが疑わしく思われる。
しかし日本における約1,400年の美人の変遷について述べたが,美人の基準が当時の男性長者である貴族武家の好みの美人顔 扁平な顔の畿内美人から,大衆好みの彫が深く目が胡桃(くるみ)のように大きく,濃い睫毛でふちどられ眼瞼(下品と言われた奥州人のけびとの顔)が美人と認められるには約1,000年かかったことがわかっていただけたと思う。
白壁征夫「日本における美人の変遷—飛鳥時代から明治,大正,昭和期までの美人の基準について—」『日本香粧品学会誌』(44巻2号 2020年)
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