さらに、彼らの認知構造を詳しく分解していくと、欲求→不安→投影→攻撃→自己正当化→習慣化、という典型的な負の認知ループが確認できる。異性への欲求が生まれると同時に、自らの魅力のなさや過去の拒絶経験を想起し、それを打ち消すために相手を“バカ”や“価値がない存在”と見なす。この認知の歪みは、しばしばネット上での“女性蔑視”を正当化する言説へと繋がり、暴言は単なる個人の感情表出ではなく、集団的ゲーム性を帯びた社会言語に変容していく。

深層には、進化心理学的な痕跡も見え隠れする。過去の狩猟社会において、攻撃的で自己主張の強いオスが一部の場面で繁殖に成功しやすかったという歴史的背景が、現代においては“脅し”の痕跡として暴言という形で残存しているのかもしれない。ただし、現代社会ではそれが逆効果に働くケースが多く、暴言によって恋愛対象から外される、あるいは周囲の信頼を失うなど、むしろ“欲しいものから最も遠ざかる行動”となっている点が皮肉だ。

こうした言動の根本には、自分の弱さを認められない脆い自尊構造と、他者との親密性を築くための基本的スキルの未習得がある。ユング心理学で言えば、自身の「影(シャドウ)」――つまり無価値感や劣等感を女性という他者に投影し、攻撃することで一時的な安心を得ようとしているのである。

結局のところ、「女はバカ」という発言は、実は“自分は傷つくのが怖い”“どう接していいかわからない”という内なる叫びの裏返しであり、それが暴言という偽装シグナルとして外化されているにすぎない。真に癒しが必要なのは、他者ではなく発言者本人なのだ。

現代社会ではこうした“攻撃を装った接近欲求”が増殖しており、個人の問題であると同時に、文化的・社会的課題でもある。もしこの悪循環から抜け出したいのなら、必要なのは他者を罵倒することではなく、まず自分自身の弱さを正しく認識し、それを引き受ける勇気である。

暴言で武装する男たちは、自らの孤独と無力感に気づかぬまま、欲望の真正面から逃げ続けている。その鎧を脱ぎ捨てたとき、ようやく彼らは“他者とつながる”という本来の望みに手を伸ばせるのかもしれない。