冤罪が認められたのはケヴィン・ストリックランド氏(62)。
1978年4月、ミズーリ州カンザスシティで20代の男女3人が射殺される事件があり、当時18歳だったストリックランド氏が逮捕された。
翌年6月に有罪判決が言い渡された。

ミズーリ州の裁判所は23日、ストリックランド氏の即時釈放を命じた。

釈放されたストリックランド氏は裁判所の外で、「こんな日が来るなんて思わなかった」と語った。

同氏は1万5487日間を獄中で過ごした。冤罪で服役していた期間としてはミズーリ州で最長。

1989年から冤罪について記録しているデータベース「National Registry of Exonerations」によると、
アメリカで不当な服役として認められたものとしては、7番目の長さ。

ただ、同州法に基づき、ストリックランド氏が損害賠償の支払いを受けられる可能性は低い。

ストリックランド氏の釈放を求めて数カ月にわたり活動してきた市民団体「ミッドウェスト・イノセンス・プロジェクト(中西部無実計画、MIP)」の
弁護士は、釈放の知らせに「歓喜した」とBBCに語った。

MIPの法務責任者トリシア・ロホ・ブッシュネル氏は声明で、「裁判官が証拠を見れば必ずや、ストリックランド氏が無実だと認めると、
我々は確信していた。そしてまさにその通りになった」と述べた。

また、「彼が失った43年間を返してあげることは、誰にもできない。
そして、彼から奪った時間に対して一銭も支払わない州に、彼は戻ることになる。これは正義とは言えない」と付け加えた。

MIPによると、ミズーリ州による補償と対象となるのは、目撃者の証言ではなく、DNAの証拠によって無罪となった受刑者のみ。

ストリックランド氏は1978年4月25日に起きた住宅襲撃事件に関与したとして、仮釈放なしの禁錮50年を言い渡された。

この事件では、4人の襲撃犯が、家の中にいたシェリー・ブラック氏(当時22)、ラリー・イングラム氏(同22)、ジョン・ウォーカー氏(同20)に発砲した。
4人目の被害者のシンシア・ダグラス氏(同20)は負傷したが、死んだふりをして生き延びた。

ダグラス氏の姉妹の恋人の「勘」を理由に、警察は当時10代のストリックランド氏を逮捕した。
報道によると、警察はその後、目撃者への「面通し」の際、ダグラス氏にストリックランド氏を犯人だと選ぶよう圧力をかけたという。

ストリックランド氏は自宅でテレビを見ていたと警察に話した。
同氏と事件を結びつける物的証拠は一切なかった。

1979年の初公判では、12人の陪審員のうち、黒人の陪審員1人がストリックランド氏の無罪を主張したため、評決は不一致に終わった。

2回目の公判では、全員が白人の陪審団が、極刑に値する殺人と、2件の第2級殺人の罪で有罪評決を下した。

数年後、ダグラス氏は唯一の目撃証言を撤回。
MIPに対し「当時は物事がはっきりしていなかったが、今はより理解しているし、できることならこの人を助けたい」と訴えた。

ダグラス氏はストリックランド氏に対する証言を正式撤回する前に死亡した。
ダグラス氏の母、姉妹、娘はいずれも法廷で、ダグラス氏が「違う男性」を選んでしまったと証言した。

ジャクソン郡の検察は、昨年11月にストリックランド氏に対する有罪判決の見直しを開始。
ミズーリ州の新しい法律に基づき、同氏の無罪認定と即時釈放を申し立てた。

ジェイムズ・ウェルシュ判事は23日、「こうした独特の状況下で、ストリックランド氏の有罪判決について裁判所の自信はあまりに損なわれてしまった。
そのため、有罪判決は破棄されなければならない」とした。

MIPのロホ・ブッシュネル氏は、「司法の各機関が間違いを自ら正すことが、どれほど難しいか」あからさまに示されたと述べた。
「検察側はストリックランド氏の無実に同意した。しかし、それには何カ月もかかった。それほど難しくことであってはならない」。

https://www.bbc.com/japanese/59413573